市民の皆様、新年あけましておめでとうございます。皆様には、お健やかに新春をお迎えのことと心よりお喜び申し上げます。公職選挙法の関係で、年賀状は自筆の答礼のみとさせていただきましたので、ご理解いただけますようお願い申し上げます。

さて、今年吹田市では、万博記念公園内での、ガンバ大阪が利用する吹田市立の新スタジアムが竣工、観覧車や水族館のある新商業施設が秋ごろオープンと、賑やかな話題が沢山あります。吹田市は、周辺道路の渋滞緩和など、さまざまな仕事がありますが、嬉しい悲鳴に違いありません。一方で、吹田操車場跡地で進もうとしているのが、国立循環器病センターと市民病院を中心とした医療クラスターの形成で、こちらについては私が昨年力いっぱい主張してきたように問題がありすぎる事業で、4月の統一地方選の最大のテーマとなり、国循に現地建替えをもう一度要望し、吹田市民病院は改修に止めるという私の案と、医療クラスターができなくても、無理やり国循と市民病院の移転を進めるという案とがぶつかり合うことになるでしょう。

この二つの案の違い等については、この御挨拶の下の説明をお読みいただきたいと思います。簡単に申し上げますと、吹田市が吹操跡地の開発計画として当初打ち出した「エコメディカルシティー案」は、非のうちどころのないものでした。しかしながら、そこで示された公的な研究所や病院は殆ど神戸医療産業都市などですでに完成し、市民の知らないうちに、「エコメディカルシティー案」は単純な「国循と吹田市民病院の吹田操車場移転案」に変わっていたのです。そして、それにもかかわらず吹田市は、厚生省にも市議会にも、そして市民にも次の三つの嘘(に近い説明)をついて、移転に対する同意を得てきました。その三つは、「吹田操車場跡地が国際医療特区に指定されることによって、多くの医療関係企業が集まり医療クラスターが出来る」「国循の現地は狭く現地建替え不可能」「吹田市民病院は古く耐震補強不可能」であり、それぞれ根拠がなかったことが明らかになりました。吹田市が今言っているのは、ここまでしてきたのだからやらせてくれ、という事だけで、今後の長い期間の市民サービスを考えた時、私の案の方が良いことは明らかです。

この議論の過程で明らかになったのは、市がいつのまにか、市民に対する福祉よりも開発利益を重視するようになっていたこと、(事業見直しをしながら、このような無駄な公共事業を進めた事)、行政が間違いを認め方向転換する事が出来ないこと、そして市民の情報理解力を甘く見ていることです。

私は市民が、この国循の移転決定の過程でどのような間違いが起こったかが理解できないとは思いません。しかしながら、この間違いを正すために、市民が政治的に動けるかどうかについては問題が残ります。この問題を背負い、市民のために闘う中心をつくることはなかなか大変なことなのです。多くの場合、この中心が推進派に潰され、市民には選択の機会が与えられなくなってしまうのです。

私は、市民の選択の機会が奪われないように、吹田市に民主主義の過程が機能するように今後も頑張ってまいりたいと思います。無用の市民病院の吹田操車場跡地への移転を行うかわりに、小学校校舎の補修を含め多くの文教・福祉の事業が行えます。

皆様の変わらぬお力添えをお願いいたしますとともに、本年が素晴らしい年となりますよう祈念申し上げ、年頭のご挨拶といたします。本年も宜しくお願い申し上げます。

 

 

                     

国循・吹田市民病院の吹操跡地への移転
これまでの経緯

●平成18年に開かれた国循の「建替え検討委員会」。委員には当時の太田房江知事を始め、国立病院機構理事長・厚生労働省医政局長・住友病院院長・東京大学教授などが加わっていました。この委員会における「相当格式の高い決定」が「現地建替え」でした。

●ところが国循が平成22年4月に独法化される少し前から、阪口市長(当時)が国循に東部拠点 (吹操跡地)への移転をお願いしたことから事態が急変しました。阪口市長は当時国循理事会でも承認されていなかった「国循の東部拠点への移転を支援します」という選挙公約で市長選を闘いましたが、維新の風が強く井上氏に敗れました。しかしながら、その公約は井上新市長によって引き継がれ、実行されることになりました。

●一方国循は理事長を3人の理事が支える体制を取っているのですが、この3人のうち2人(大阪大学大学院教授と淀川キリスト教病院常任理事)が現地建替え派であったことから、理事長により解任され大きな問題になりました。その後国循は、現地建替えから移転へと舵を切りました。その後作られた新構想検討委員会報告書では、「一体的全面建替えの必要性」「現地の狭小」が指摘されていました。

●国循は、この後池田市木部、茨木市彩都、箕面市船場、吹田現地、吹田吹操跡地、の5つの場所を候補地として誘致コンペを行おうとしましたが、吹田市は現地についてのプロポーザルを行いませんでした。
私は、当時委員だった、吹田操車場等跡利用対策特別委員会の席で、吹田市はなぜ現地についてプロポーザルをしないのか問いましたが、市は、現地の面積が足りないと答弁し、2本の矢はつがないと言い放ち、現地の可能性を自ら切り捨てました。国循へのプロボーザルの席では、現地はどうなのですかという質問が委員から吹田市にされていましたが、吹田市はプロポーザルを用意していないと答えました。

●吹田市はさらに、吹田市民病院を吹操跡地に移転させ、国からの特区指定を受けて医療クラスターにするという夢を語ることにより、厚生労働省などを説得し、国会議員や当時の藤村官房長官の力も得て国循の吹操跡地への移転が政治的に意思決定され、国循関係者あるいは周辺住民のさまざまな反対をおして移転が発表されたのが平成25年6月11日でした。井上市長はよく「国循に吹田市民病院をつけたるねん」という発言をされていましたが、吹田市の発意で市民病院は吹操跡地に移転する事になったのであり、国循側から国循をサポートする病院として吹田市民病院が欲しいという発言はありませんでした。

●そして、これらの情報、そして隠されていた情報が移転決定後HPなどを通じて一般に知られるようになり、次に述べる数々の問題点が明らかになったのです。

今や国立循環器病センターは千里のまち
そのものを守っていると感じられます。

老朽化していて建替えるしかないと言われた吹田市民病院。今建物ごと民間病院に売却の話がでています。

問題点


現在の国循の敷地は建替えが不可能なほど狭小ではありませんでした。建物の現在の高さ制限、道路からの50メートルのセットバックをそのままに、建替え不可能と判断していました。規制については付近住民の同意のもと吹田市の協力も可能だったはずです。また、現在の国循の敷地面積は77,616であるのに対し、吹操跡地における国循の移転予定地の面積は、30,585しかありません。

●耐震性能が足らないため市民病院として使えないと吹田市が主張していた現在の市民病院の建物は、建物ごと民間の医療機関に売却される可能性が出てきました。他の病院が使えるような建物なら、そもそも建替えをする必要はなかったのです。

●吹田市民病院の医療能力では、現在と同じだけの地域医療を行いながら、国循の患者のサポートをすることは不可能に近く、将来的に新病院が民営化される可能性が出てきました。市長は、「自分が市長のあいだは民営化しない」と仰っていますが、将来の公的な市民医療に責任を持てないような病院を作るべきではありません。
●吹田市民病院の医療能力の不足と民営化の可能性が厚生労働省に報告されていませんでした。民営化された場合、国循のもつ、循環器病治療に関するさまざまなデータ、個人情報などが流出する危険性が高くなります。

●吹操跡地に出来るという医療クラスターについて、本当にできるのか未知数であり、さらに事業として採算が合うものなのか、吹田市から議会への一切の説明ないまま、事業をスタートしようとしています。

このような自治体病院としての吹田市民病院がなくなってしまうという最近になって認識されてきた問題に加え、吹操跡地に2つの病院をつくることには次のような問題があります。

●2つの重要な救急病院を市の一方の端に置くことは、市における病院の偏在をまねきます。(これを言うことは決して地域エゴではありません)

●国循や吹田市民病院の現在の立地は、多くの市民から愛されており、病院の近くだからということで住居を購入した人も多いのです。さらに、病院は治療を受ける場ですが、一方で多くの方が亡くなる場であり、その意味で祈りの場です。したがって、駅前というのは便利ですが、現在の両病院のような緑豊かな立地も、決して
病院の立地として悪くなく、さらにこれまでの付近住民や自治体の努力により、素晴らしい周辺環境が作られてきました。

●国循については現在の立地の方が救急患者の搬送に便利だと思われます。

 ●国循の移転は、千里ニュータウンの街のかたちを崩してしまう可能性があります。

 

 

 

 

 

 

 

これは2つの病院の完成予想図ですが、まだ両病院とも設計に至っておらず、あくまでもイメージ図です。
病院ではなく駅に行きたい方には、この配置はいかがかとも思います。また、歩道橋で両病院が結ばれていますが必要でしょうか?
そして、この手前の市民病院がどこかの民間病院に変わっているとしたら、あってはならない光景になります。

井上市政とは何なのか?

この3年間の井上市政の評価を端的にあらわすのが、昨年12月議会における全会一致の問責決議と、2度にわたる不信任案提出でしょう。問責、不信任の理由はどちらも金に関わる問題、関係者への利益供与と不適切な政治資金の取り扱いの問題でしたから、これは政治手法の問題といえます。それでは、施策面での評価はどうかを簡単にいいますと、市長は一方の手で吹田市の財政難を過剰に強調してさまざまな福祉施策を削るとともに、もう一方の手で、開発事業には、惜しげもなく多額の投資を行い、あるいは行おうとしました(吹操跡地開発がその重要な例ですが、それ以外に議会に反対されて実現できなかったさまざまな施策がありました)その意味で、直接開発事業により利益を受ける方々を除いて、議会、市民からの評価はおおむね低いと言えます。

これから、統一地方選挙への半年間は、議会での討論ではなく、どのように吹田市政を刷新するかを模索する6カ月となります。この報告を読んでいただいた皆さんにはご理解いただいたと思いますが、国循、吹田市民病院移転建替え問題は、非常に根が深く、市民の皆さんに深くご理解をいただいた上で、皆さんのこの状態を変えたいという強い熱意がないと誤りを正せない状況にあります。私は、新選会の仲間の議員とともに、まず、市民の皆さんにこの状況を伝え、皆さんのご意見を伺うところから、この問題の解決に取り組んでまいりたいと思います。

私自身の忍耐力と、吹田市の市民力が試される半年になると思います。是非皆さんの力をいただき、この仕事をやり抜かせていただきたいと思います。まずは、これから各地で開きます市政報告会、意見交換会に、どうぞ皆さまご参加ください。異常気象が続いておりますが、吹田市の問題を解決した後、地球環境問題にも是非取り組みたいと思っています。皆様のお力を私にいただけますよう、宜しくお願い致します。

私の本年3月議会の質問の最後の部分です。市長はこれに対し、検討する必要なしと答えました。

市長が進めようとしている吹操跡地の開発プロジェクトにより、千里ニュータウンから国循がなくなり、市民病院が吹田市のものでなくなり、使用されるあてのない事業用地と天文学的な負債だけが吹田市に残る、これが考えられる最悪のパターンです。
 市長は施政方針で述べられたバラ色の夢しか見ていないんですか?この最悪のパターンに吹田市を引きずり込もうとしていませんか?国循には現地建替えをお願いし、市民病院は耐震補強をして使い、吹操跡地は住宅地として開発する。この方がより吹田市民にとっては安心だと思われませんか。市長はこれまで、この選択肢について検討されましたか?