衆院選を終えて

今回の衆院選については、皆様にお伝えしましたように、大阪七区より希望の党で出馬するという自分の思いはかなわず、希望の党からの要請で、中国ブロックの比例代表という形で選挙に参加することになりました。14位という比例順位については、非常に厳しいもので、多くの方から、どうして無所属等で小選挙区で戦うことを選択せず、この順位で比例候補となることを選んだのかという疑問をぶつけられました。これについては、ここでお答えをしておかなくてはなりません。

安倍首相の突然の衆院解散、希望の党のこれも突然の結党、皆が驚いた、希望の党への衆院民進党議員の合流と小池代表の排除発言から始まった大きな混乱、大阪府における希望の党と日本維新の会の選挙協力、そして立憲民主党の立ち上げ、希望の党への逆風と自民党や立憲民主党への追い風は、今となれば全体の流れが理解できるとしても、その途中で先が読めるものではありませんでした。

希望の党の基本理念に惹かれ、若狭議員からの誘いを受け、大阪七区から希望の党公認として出馬する決心を固めていた私は、希望の党と日本維新の会の選挙協力により、大阪七区における希望の党の公認を失った後でも、なんとか希望の党の中で日本の政治にかかわっていけないかを模索していました。その時に、若狭議員から中国ブロックで出馬しないかとの打診をうけ、後にいただいた、中国ブロックから山口君一人しか比例候補をださないから、という約束もあり、当時の希望の党への風の中で、自分はこの申し出を受けたのです。

私が議員への道を失ったのは、重複立候者との上下関係について明言をいただけなかったにもかかわらず、自分が希望の党にとって必要な人材に違いないから比例順位を上においてもらえる筈だという過信をしていたことによるものだと思います。「政策」は持っていても「経歴」を持たない私が、高望みすることが馬鹿だったのかもしれません。希望の党が比例順位を明らかにしたのは公示日前日であり、重複立候補者の下の14位という順位を知った時には、私にはもうどうすることもできず、これで終わったなという感触を受けただけでした。そのあと、中国ブロックの各小選挙区の候補の応援に入るなど出来る限りのことはしましたが、もちろん自分一人の力では何もできませんでした。

今後どうするのか

私がもし会社員であれば、あるポジションから外されれば、その仕事にかかわることはできません。しかしながら、私の場合は、議員になれなくても、自分の考え方次第、あるいは自分の創意工夫で、自分の思いを実現する違う道を見つけ出すことが出来ます。

今はまだその道が見えてきたわけではありませんが、少なくとも、これまで参加してきた輝照塾や希望の党の中で、今後も多くの人に、自分の知識や理念を伝える努力を継続する必要はあるでしょうし、それ以外の道を探す努力もしなくてはなりません。

昨日、経済産業省、環境省、経団連、気候関連のNPOが参加したシンポジウムに参加してまいりました。いまだに、産業界が、地球温暖化対策に関して非常に後ろ向きであることに驚きを覚えました。議論が白熱する中で、学者やNPOから、「ここにいる方が何といおうとも、現実社会では、企業は再生可能エネルギーを基礎にした新しい技術や産業に向けて活動を進めています。皆さんはそれをいかに邪魔しないかを考えなくてはならない」という声が出て、私は「そうだ」と思いました。

私が政治や意思決定の場にいなくても、「パリ協定」に基づいた世界の変動は起こっていきますし、おそらく「世界みどり公社」に似た世界システムも生まれるでしょう。日本が、そのような世界で、遅れをとらないように働きたかったのですが、自分の夢は潰えても、日本の企業、社会は強く、何とか世界に適応していくと信じています。

世界はフレキシブルで、どんなときにも「希望」が消えることはないのです。今回の衆院選においても、比例代表では1000万人近い方々が「希望の党」に投票してくださいました。なんと、あの盤石であるはずの「自民党」と書いた人の6割に近い数字です。

日本の政治の未来に向けて、「希望の党」には大きな可能性があるのです。きちんとした党の体制と政策をつくり、一人ひとりの候補が、自分で理解してそれを広めることのできる能力を身につけ、そして国民の皆様が本当に欲していることを感じ取る感性を高めていき、希望の党は、日本が必要としている「改革保守」の政党として、次の選挙、そしてその次の選挙で大きくその存在感を増すことが可能です。

今回の選挙でお力を貸してくださった多くの方々に感謝し、そしてまず自分自身が希望を失わないことを皆様にお約束して、この稿を終えます。