新年御挨拶

さまざまな思いを残したまま20世紀が終わり、21世紀がやってきました。皆様は元気でお過ごしでしょうか。私はこの年末、経済・社会の変動のなかで21世紀に日本人が何をすべきかという視点でいくつか考えがうかんできましたので、ここでは、市議会議員という立場をはなれて、皆さんにも一緒に考えていただきたいという思いで述べさせていただきます。

 

日本が進むべき方向を見出せない理由

日本が経済発展のレールから外れたのは1985年9月のプラザ合意以降です。プラザ合意によって、日本は大幅な円高を選択し、製造業における競争力を放棄することをみずから選択しました。また一方で日本が数百兆円の公共投資を行い国として大幅な債務を負うことを約束しましたが、これは日本国内の金利を諸外国にくらべて安定的に大幅に低くし、資金を日本国外に還流させるとともに、日本の銀行の競争力を大幅に減退させることを目的としていたと考えられます。

この選択は日本がアメリカの経済的植民地になることを認めた屈辱的なものだと非難する声が、あちこちであがっています。しかし私には、日本のプラザ合意以前の経済発展の状況は世界全体から見た場合あまりにも突出しておりそのまま突き進むことができたとは思えないのです。大蔵官僚のプラザ合意以降の経済運営、バブルを発生させ、一挙につぶしたあの過程については強く非難するべきだとしても、日本が世界の中で占めている人口比率などの諸要素をを考えたとき、世界中の製造業や資産を一人占めして世界から敵対視されるような事態にならなかったのは、長期的な日本人の幸せを考えた場合かえってプラスだったかもしれません。

アメリカのヘッジファンドを始めとしたマネーの横暴には許しがたいものがあります。しかし、アメリカ憎しという感情論だけを言っていても仕方がないと思います。アメリカの指導者達のすべてがのぞんで、アジアの通貨危機などを招いたと考えるべきではないからです。あくまでも、現在の産業社会で蓄積されてきたマネーの量があまりにも巨大で、国家の力で押さえるのが難しくなっているという方が実態に近いのではないでしょうか。またアメリカ政府がマネーの力により、誤った動きをさせられる場合においても、例えばクリントン大統領ががOECDにおいて導入しようとした多国間投資協定は、世界中の国々においてアメリカの資本が自由に投資できることを狙ったものでしたが、このときにはアメリカ国内でも市民の反対運動がおきたため、成立しませんでした。

すなわち、アメリカという国そのものが悪意に満ち、世界中で我が物顔で振舞おうとしているのではなく、アメリカの中の、半分は日本から流れ込んで巨大になったマネーが危険であり、アメリカという国そのものも、その傍若無人な振る舞いに怯えていると考えるべきでしょう。バブル末期のように見えるアメリカにおいて、カレル・ヴァン・ウオルフレンなどが、日本のマネーのアメリカ市場への流入は我々が望んだものではなかったと発言しているのは、このような文脈でとらえるべきだと思います。

現在の日本政府等の債務に付いては、異論があるとは思いますが私個人としては政治的決断さえあれば、無利子国債の発行、調整インフレその他の方法を用いて比較的短期間に解決できるのではないかと考えています。それよりも経済面で今問題にしなくてはならないのは、現在の不況のもと、多くの人々が苦しんでいること、そして景気の後退や資産価値の減少をまねいてまでも行おうとした日本の構造改革が全くといっていいほど進んでいないこと、さらにつけくわえるなら、日本の行うべき構造改革について日本人の間にその内容についてのコンセンサスが全く出来ていないことでしょう。

日本の構造改革とは、一言で言えば、日本が世界中の市場を席巻するような極端な輸出を行わないでも安定的な経済活動を行える産業構造に転換することで、これは日本が対外的に約束しており、世界中の国々と協調して生きていくためにはどうしても必要なことです。

産業政策的には輸出産業以外の産業の競争力を増大させることが必要です。そのためには都会に集中しすぎた人口を地方に拡散させ、人々のメンタリティーを、仕事中心の生活から家庭中心の生活へと重心を移してサービス産業などにおける消費を喚起しなくてはなりませんでした。また農業、エネルギーなどについても自給率を高め、心理的にも輸出依存体質の解消に向かわなければならなかったのです。

ところが、バブルからの軟着陸に失敗したため日本の景気後退は大幅なものとなり、人々や企業の関心は雇用の確保や不況対策にむけられ、産業の転換ができる土壌がなくなりました。また輸出型の巨大な既存産業や、都市に人口を集中したい不動産業、公共事業を行うため一時的に大きくせざるをえなかった建設業界などの抵抗があまりにも大きいため、官僚や政党は世界から期待されている日本の新しい社会像を提示する事さえ出来ない事態に立ち至っているように思われます。

本来ならこの日本の大きな転換は強力な政治家または官僚のリーダーシップによって行うべきものでした。この時期に薬害エイズなどの官僚、政治家に対する信頼を失墜させる事件が続いたことは、日本にとってとても不幸なことでした。またマスコミにも問題の所在を国民の前に明かにする責任を怠った咎があります。

構造改革の目的について

構造改革が本当に出来るのかという議論はひとまずおいて、どのような社会を構造改革によって目指すべきかについてもう少し詳しく考えたいとおもいます。まず、ひらたくいえば、目指すべき社会とは、国民が幸福を実感できることと、持続可能であること、国際社会からのルールからはみ出ず、できうれば国際社会に貢献できることと表現できるのではないでしょうか。そして国民が幸福を味わえる社会とは、軍事・経済・社会における生活の安心と雇用の安定、生活の余裕から生まれる人間の諸活動の活性化、さらには家族、自分所属する会社や自治体、国家などへの帰属感をもてることが大切でしょう。持続可能であるとは、地球環境への配慮が充分なされているいうこと、それから次世代を担う人材が育成されていることだと思います。

ところで、現在世界に蔓延しているアメリカ発の市場至上主義は、これらの目的を達成するのにどう考えても不向きだと思われます。いま構造改革や規制緩和という言葉のもとで、日本においてはは終身雇用や年金システムなど様々なこれまでの社会のセーフティーネットを破壊し、幸福とは程遠い競争社会をつくりあげているように思えます。それを実行しているのは、アメリカではなく、不況や少子化にヒステリックになった日本の企業社会であり、彼らに日本の官僚機構も手を貸しているのです。

そもそも日本が構造改革に迫られたのは、アメリカとの競争に負けたからではありません。ある意味で日本の産業の競争力が強すぎたから世界から構造の変革をせまられたのです。この意味で構造改革の方向は、競争力をさらに高める市場主義の方向ではなく、いままで日本社会を覆っていた市場原理のなかで見失われていた別の原理により、市場主義の修正をおこなうことにこそあると思います。

それでは一体どんな観点から市場主義を修正すればよいのかを考えたとき重要なのは、一つ目として先ほどからの述べてきた、輸出依存でない産業構造をつくるという観点、二つ目は資源の有限性からくる循環型社会の形成という観点、三つ目は現在の少子化と教育の荒廃を鑑みて、人間の再生産という観点です。

構造改革のための政策提言

次に網羅的でもないし、練れたものでもありませんが、今後日本が取ることのできる政策について、思いつくままに述べたいと思います。

まず、輸出依存でない産業構造についてですが、住宅建設、金融・証券、教育、福祉、観光、アミューズメント、スポーツ、また循環型社会という観点からも重要な農業、林業、廃棄物処理などの分野の活性化と地方への分散が必要になります。

まず、安価で優良な広い住宅の建設に補助を行うべきです。これはドイツが戦後復興の際行ったことですが、日本でも今からでも遅くない、はじめるべきだとおもいます。またすでにある住宅ローンで苦しんでいる世帯に対しても、不公平のないように減税や補助を行うべきです。

金融・証券業においては、一方では海外への投資を専門的に行う銀行がうまれるとともに、国内では銀行ごとにサービスの差別化が図られることになるのでしょう。金融分野では今後日本の資金需要が大幅に増加することは想像しにくく、また10年以上の単位でゼロ金利が続くことが考えられますので、従来おこなってきた無料サービスの有料化が避け得なくなると思われます。証券分野が利益の源泉になり、国民各層に、小さな単位で安全性の高い投資ができる投資機会を与えるためにも、株式市場の活性化が必要になります。株を保有するメリットがたかまるように税制を改正するべきです。すなわち、法人税を思いきって低くし、株式への配当が大幅に増加するような税制への転換を考えるべきだと思います。

次に教育の分野ですが、何を教育するかについては後でのべるとして、産業としての教育を考えた場合、生涯教育を今後の最大の成長分野にさせなければいけません。アメリカを「お互いにハンバーグを売り合っている国」と評価した人がいましたが、私がアメリカの大学にいたときにはそうは感じませんでした。むしろアメリカは大学という機関を上手く利用して、住民が一生勉強を続ける国、「お互いに教え、教えられる国」だという印象をもちました。日本では教育は大学を卒業するまででおしまい、あとは資格をとったり、仕事に直結する勉強が大事だという意識が根強くありますが、この点はアメリカを見習い、日本の大人も体系だった学習を受けつづけるように意識改革が必要だと思います。この意味で「大学」には大きな未開拓分野があり、行政と手をたずさえて、国民が楽しく学習できるシステムをつくる必要があります。

あまり卑近な例をだして申し訳ないのですが、例えば、私は中学校の空き教室を利用して、市と大学が協力して講座を開き、市民が後に大学に入学した場合、その講座の一部は単位として認められるといったシステムを吹田市につくりたいと思っていますが、それはこの文脈の中にあります。

また大学は、地方でも成立できる貴重な産業なのですから、都心にこれ以上集中しないよう、また地方に分散するよう誘導する必要があります。

福祉産業については、あまり幅が広いために、ここでは殆ど触れられませんが、、高齢者福祉にしぼって一言いいたいのは、この産業については、いかに効率よく福祉を行うかという観点より、いかにより多くの高齢者の雇用をこの分野で生み出すかが大事だということです。福祉という言葉は、喜びを与えるという意味ですし、高齢者にとって人に役立つことが出来るほどの喜びはない筈ですので、是非この方向で考えていっていただきたい。家族のない高齢者が増えることも視野にいれて、アメリカのサンシティのような高齢者自治のシステムを高齢化した地域につくるなどというようなこともどんどん計画していくべきだと思います。

観光・アミューズメントは日本では大幅に立ち遅れている分野です。それは日本人の休暇の取り方にも関係があります。多くの人が短期間に集中して休むやりかたでは、観光業の発達の余地がないのです。日本の企業社会がワークシェアリングの考え方を取り入れ、労働者がもっと分散して休暇をとれるようにすることが必要です。また高齢者が観光しやすくするように、特に込み合う期間を除き、大幅に割安で公共交通期間や高速道路を利用できるようにするシルバーパスの制度を導入することも視野にいれるべきでしょう。

最近大阪産業再生プログラムのなかで、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)を契機に大阪を観光都市にすることが提言されていますが、正しい方向だと思います。私はできることなら、北大阪の発展のためにも、エキスポランドがさらに拡大強化され、日本アニメランドになって、USJと共同で海外から大阪に観光客を呼び込めればいいと思っているのですが、皆様はどう思われますでしょうか。

農業・林業も単に採算性で判断するのではなく、食料安保、国土保全、国土の均等な利用、雇用の確保、環境保全の多用な見地から効用を見直し、保護発展させなくてはいけません。都心部の農地の重要性は、バブルの頃は殆どの人が気がついていなかったとおもいますが、現在では都市計画を考える上で、公園同様大変重要だと位置付けられているようです。農漁村の活用という点からは、最近ボランティア義務化について議論されているようですが、もし実現すれば多くの若者が農村、山村、漁村を体験し、地方の生活を選択するようになってくれればいいと思っています。この点は少子化問題にも関連します。

次に循環型社会の形成という要請は廃棄物処理産業だけでなくすべての産業に影響を与えます。環境に悪影響を与えない素材や製品が付加価値をもつよう、自治体が低価格でおこなっている現在の廃棄物処理業務については、実際の処理費用に見合った料金体系にすべきだと思います。リサイクルしやすい素材は安価に、リサイクルし難い素材にはそれなりの料金を設定すべきだと思います。また資源・エネルギーリサイクルを可能にする多くの新産業を保護し育てていくべきです。

人間の再生産を可能にする社会に向けての政策提言は、私が吹田市で常に取り組んでいることなので、活動報告や、議会質問をみていただきたいのですが、ここでも簡単に言うと、社会には、財や、サービスを生産している競争社会と、人間の再生産を行っている共生社会があり、戦後の日本は共生社会を不効率なものとして切り捨ててきたのではないか、ということが私の主張の中心で、地域の再生や、家庭教育の重視、またそれを可能にする雇用体系、保育所や学童保育施設などの整備が必要だと思います。

このように長々と、日本の構造改革、市場主義の修正についてのべてまいりましたが、これらをそのままのかたちで実現していくことは、抵抗が大きく非常に困難だろうな、というのが実感です。しかしながら、社会の色々な場所で個々の課題がでてきたときに、どちらの判断が、日本の構造改革にとってプラスかという判断基準で判断を積み重ねていけば、自然と日本が変わっていくのだろうと思います。その意味で、私は私なりの日本についての理想を出来るだけ多くの方々にお伝えしていき、日本の未来にすこしでも貢献したいと思っています。

そして、最近長野県の田中康夫知事が仰っていましたが、現在の日本を変えるのは本当に困難であり、個々の自治体を多くの志ある人間が変えることによって、日本が変わっていくことを目指したい、この思いに私も心から同感致します。吹田市を理想の市にするため精一杯努力してまいります。今年も皆様からの一層の御支援をお願い致します。

2001年 1月
山口総合政策研究所
所長 山口 克也

 

活動目次に戻る>