市議会議員選挙を終えて

皆さま。多くの方々にサポートされたにもかかわらず、今回の市議会議員選挙では、当選にほど遠い得票しか得られず、支援者の皆様には大変申し訳ない結果になってしまいました。深くお詫び申し上げます。

今回のような結果になった最大の要因は、自分が、吹田市内に発送している吹田市に関する政策レポートと、地元の複数の自治会への直接の御挨拶で、当選に必要な票数がとれるであろうと考え、労働組合や政党の力をお借りしようという考えに至らなかったからということが明白です。自分の過去の選挙が、民主党などの政党の力を借りたものであったことを忘れ、自分の力で選挙を乗り越えられると過信したことが、今回の結果になったと、自らの傲慢さをしっかりと認識しなければ、何のためにこの選挙があったのかを理解しないで終えることになってしまいます。

そして、地元で直接に闘ったA市議会議員候補に、地元の大きな力が行ってしまった理由も受け止めるべきです。Aさんは見栄えの良い自民党の候補で、地元の幼稚園に入る子どもを持ち、彼のために直接動いてくれる同じように子どもをもつ親の世代のサポートがあり、支援者が、彼は選挙に落ちると生活が出来なくなる。だから彼に票を集めてほしいということを言って地域を回りました。私が、選挙が終わってすぐに地域の若い人から言われたのが、
Aさんがほぼ最下位当選だったこともあり、「Aさんは、もう少しで落ちるとこやったやんか。山口さんは、この選挙出るべきでなかった」という言葉でした。地元の人にとって、私が地元や吹田市のために働きたいと述べていた言葉は心に入らず、誰を助けるべきか、という重みで、私はAさんの何分の一もなかったということになります。地元の人には、私の訴えは心に届かなかったのです。自分ではいいと思っていた、下記の私の駅頭でのあいさつ、それが、なぜ人の心に届かなかったのか、それが私の今後の研究と反省の対象になります。
自分では晴れ晴れと話していたつもりだったのですが、自分のための挨拶になっていなかったか、いまとなれば、独りよがりだったような気もします。参考のためにお読みください。

「皆さん、私は、私がこの選挙を行っている真の動機は何かを今考えていました。そしてその一番の動機は、この街がこれからも長い間良い状態で続いてほしい、千年先のこの地に子どもたちの笑顔が溢れていてほしい、ということにあることに気が付きました。はたしてこの街を千年続けるということが可能なのでしょうか?千年続いた街があります。奈良や京都です。これらのまちは、そこに住む市民の手で守られて守られて千年続き、世界に冠たる観光都市になりました。都市はかってに存続するのではなく、そこに住む人々の手によって守られて続いていくのです。いま吹田市や江坂が、関西でも三本の指に入る、住みたい魅力的な街なのであれば、我々はこの街を千年続かせようという決心をする必要があります。私の申し上げる千年のまちづくりとは、ともにこの千年のまちを作りましょうという呼びかけなのです。

不可能を可能にした事例があります。2015年12月のパリ協定の合意の時です。この合意の時、オバマ大統領をはじめとする世界のリーダーは、194の国連に加盟するすべての国が、2050年を過ぎたあたりで世界の産業による二酸化炭素排出をほぼゼロに近づけることに合意しました。化石エネルギーから、再生可能エネルギーへ転換することに成功したのです。これほどの偉業を成し遂げたのです。

私たちにも希望があります。この吹田、江坂を千年のまちにすることが必ずできます。「Yes. we can」です。私たちにはできます。この街の子どもたちの未来のために、この街を千年続くまちにしてまいりましょう。私を吹田市議会に押し上げていただき、この街を守る仕事をさせてください」

自分の動機を素直に語っていますが、市民の皆さんのニーズをくみ上げていないことは確かです。この得票はすべて自分の責任です。本当に申し訳ありませんでした。