「繁栄」の国から「幸福」の国へ

昨年の衆議院選挙は民主党の歴史的な大勝利に終わりました。国民が民主党を選んだのは、小泉政権が行ってきた新自由主義に基づく国家運営に、国民が愛想をつかしていたからです。国民は、むき出しの資本主義や、国家の役割放棄の向こう側に国民の幸せがないことに気がついたのです。小泉首相以降の自民党政権、特に福田、麻生政権においては、かなり大きな政策の転換が行われていたのですが、それでも国民は自民党を許しませんでした。

それでは、民主党がさきの選挙で掲げたマニフェスト、あるいは民主党が現在まで行っている政策について、国民はどう感じているのでしょうか。私は、国民は「子ども手当」に象徴される民主党の「友愛政治」、国民に目を向けた政策や物の言い方に、今でもシンパシーを感じていると思います。鳩山首相の今年の施政方針演説における「命を守りたい」というメッセージも見事なものでした。これらの点については自民党や他の野党からも民主党を攻撃しようがありません。ただし、民主党は「命を守りたい」「コンクートから人へ」「友愛社会」というメッセージを打ち出すことに成功しながら、「幸福は、個人、家庭に存在するもの」という固定観念にしばられて、個人への給付政策ばかりを考え、「幸福な社会」につながる社会資本の構築に成功していないと思います。「幸福な社会」という概念を追求していくと、いくつかの新しい国の政策、社会資本が生まれてきます。私は今、「世界みどり公社」「ベーリング海峡ダム」という二つの巨大な社会資本をつくる活動をしていますが、今日は、その二つとは別に、日本にあるべきいくつかの社会資本について書くことにします。

「幸せな社会」をもたらす社会資本

私は、「幸せな社会」とは、かつて菅直人副総理が書いておられたように「最小不幸社会」だと思います。今日本人で、最も不幸な人たちはどんな方々でしょう。他にも沢山不幸な方々がおられると思いますが、グループとして二つとりあげるとすると、一つは今年もたくさん生まれた、社会に出たが、就職することができず、社会で生きていくための基本的な訓練を受けられない人たちです。この人たちは、これからの長い人生で非常に大きなハンデを背負うことになります。もう一つは、核家族化、少子化の中で、さびしく一人で暮らしていらっしゃるお年寄りの方々です。この二つのグループの苦しみは、お金を与えれば済む、という問題ではありません。

私は、環境活動で出会った人たちから、若い人に、地方に来て第一次産業で働いてもらいたいという声を多く聞きました。このニーズと、都会に就職口がない人たちが沢山いるというシーズを結び付ける、国が特別な分野に人材派遣を行う「人材派遣公社」が、一つの可能性を持つのではないかと考えます。大きな企業でも、あるいは農業、林業、水産業でも、仕事の喜びや辛さに、それほど変わりがないと思います。若い人たちが第一次産業に就職しないのは、収入や身分が保証されていないことが最大の原因です。私は身分と収入の保証、将来の転職の保証をし、同時にさまざまな教育を行いつつ、第一次産業や、介護の分野に人材を派遣する公社をつくるべきだと思います。いま、社会的に放置されている人材は、将来の超高齢化社会の中では貴重な戦力になります。個人への給付政策ではなく、「人材派遣公社」という社会資本をつくり、人を育て働かせることを、是非政府には考えていただきたいと思います。

二つ目に、提案したいのがシルバーシティーです。先日も、吹田市内を花見がてら散策し、千里ニュータウンの老朽化に目を覆いました。沢山のお年寄りが、エレベーターもない、上層階で、それもお一人で苦労されている話も、常に聞いています。思い切って、府や公社の力で完全に立て替え、バリアフリーなどを徹底的に進め、お年寄りによる、グループ生活を可能にする必要があるのではないでしょうか。使い心地の悪い、小規模な施設で、グループホームをされている方々の善意と、ご努力には頭がさがりますが、これからの介護の需要は人の善意に頼ってのりきれるレベルのものではありません。街の構造から、建物の構造から、高齢化社会に対応しなくてはなりません。建設需要が落ち、資材の価格が下がっている今こそ、公的な投資で高齢化社会に備えるべきだと思います。

ともに泣き、ともに笑おう

ブループラネット賞受賞者、東京大学名誉教授の宇沢弘文先生は、アダム・スミスの『道徳感情論』『国富論』についての説明の中で、次のように述べられています。

スミスは、人間性のもっとも基本的な表現は、人々が生き、喜び、悲しむという、すぐれて人間的な感情であって、この人間的な感情を素直に、自由に表現することができるような社会が新しい市民社会の基本原理でなければならないと考えた。しかし、このような人間的感情は個々の個人に特有なもの、あるいはその人だけにしかわからないという性質のものではなく、他の人々にとっても共通のものであって、お互いに分かち合うことができるようなものである。このような同感の可能性をもっているということが人間的感情の特質であって、人間存在の社会性を表現するものであるとスミスは考えた。

人間は感情を共有しています。だからこそ、宮沢賢治の「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という言葉が、共感をもって受けとめられるのでしょう。一人も不幸にしない覚悟が行政、政治には求められるとともに、社会インフラを考える際には、その社会インフラが、感情の共有に役に立つか否かをチェックする必要があると思います。たとえば、市町村合併、地方分権などを考える際にも、そのような組織、単位が、本当に人間的な感情の共有を可能にするのかを考えるべきです。

そしてもう一つ、人間の感情の共有に必要なのが、芸術・文化です。かつて私は、すでに取り壊されてしまいましたが、万博美術館を利用して、日本の近代の画家の作品を収蔵し、日本人、あるいは日本を訪れる外国人に日本の近代芸術が概観できるような美術館を作るべきだという活動をしました。私はそのような美術館の必要性を今も強く感じています。

このことに関連し、私は、民主党が事業仕分けで「国立メディア芸術総合センター(アニメの殿堂)」を悪の権化のように批判し、愚弄したことに対して強い怒りを感じています。アニメと漫画は、日本の現代の、非常に重要な文化であり、人々のコミュニケーションツールです。自国民の感情の共有手段をおろそかにして、「幸福な社会」は決して生まれないと、申し上げさせていただきといと思います。

最近松本零士氏が「わたしの仕事館」の跡地を「アニメの殿堂に」という活動をされているというニュースを見ました。私は、本来なら「アニメの殿堂」は、日本の中心部にあるべきだと考えるのですが、もし、松本零士氏の提案が、世界的な観光客の目的地になるレベルの、発信力のある施設につながるなら、是非実現してほしいと思います。

「事業仕分け」に潜む危険

民主党政権をもう一つ批判しましょう。「事業仕分け」には魔女狩りの匂いがします。資本主義の最大の弊害、すなわち少数の豊かな人と、多くの貧しい人をつくりだすことに目をつぶる、新自由主義を否定すると、次は、官僚機構が社会の隅々にまで手を出す、官僚主義、或る意味での社会主義がはびこりがちです。すると、ソ連や東欧諸国の例を待つまでもなく、大変な不効率と、閉塞感のある息苦しい社会が生まれてきます。民主党のように、国民の生活を守るため、企業の活動を規制することを是とする政権は、社会主義政権と同じように、本来なら政府が手を触れてはいけない分野にまで規制を行おうとする可能性があります。

どのような分野に手をふれてはいけないか明確に言うことは難しいのですが、国民感情として、これはしてはいけない、と感じる仕分けが、今回の事業仕分けでも沢山あったと思います。「文化」、「科学技術」、「教育」など、その分野の専門家の意欲がなによりも大切な分野で、素人の政治家が短時間議論しただけで、予算にナタを振るっていました。最近、政府の方針に反対する役人がいると、「事業仕分けにかけるぞ」という脅し文句が言われる、ということを聞きますが、このような恐怖政治、政府に対して文句が言えないような政治につながってしまうのが、「大きな政府」を目指す政権を作った場合の危険性なのです。

私がいた吹田市の市議会でさえ、一つ一つの事業継続の可否について、「事業仕分け」よりも、もっと時間をかけた丁寧な議論をやっていました。民主党は、もしこれからも「事業仕分け」を行い続けるというなら、議論の方法について改善を加えるとともに、事業仕分けの対象にするべきでない分野について、前もってしっかりと議論をすることが大切でしょう。また、党内の意思決定については、もっと民主的で透明性のあるものにしなくてはなりません。

これからの政治

民主党政権、あるいは鳩山首相のうちだした「友愛政治」は、社会のあるべき姿であり、たとえスキャンダルや、普天間問題などの個別の政治問題で内閣が変わることがあるにしろ、民主党の方向性そのものに対する国民からの反発は起きないでしょう。自民党や他の野党が、民主党の方針に変わる、あらたな政治的な結集軸を見出すのは容易なことではありません。小さな政府への志向や、地方分権は、民主党と対峙するもう一つの結集軸には、もはやならないのです。したがって、私は、これからの政治においては、かつて民主党が第二自民党といわれたのと逆に、野党が共同して、第二民主党を作っていく動きになると思います。民主党と、民主党の「友愛政治」を丸呑みした自民党+αの政治勢力が、あるべき外交関係、あるべき社会の姿、つくるべき社会資本について堂々と議論をかわし、各党に所属する議員の総合的な政策立案力の差によって次の政権が決まってゆく、そのような政治の時代が来るのではないかと思います。地球温暖化問題に関して、これから世界の政治については大転換が起こらなくてはなりませんが、それが終わった後、日本の政治の未来には明るい見通しが開けているのではないかと、私には思われるのです。

 

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