新船中八策について

 神谷宗幣氏の引っ張る龍馬プロジェクトや、大阪維新の会などで、日本の未来の姿を示す、船中八策づくりが行われています。私も自分なりの船中八策作りをおこないました。その思考の過程を示しておきます。

船中八策をなぜ作るのかについて

 その答えは明白です。日本人という国民が、厳しい国際関係の中で、生き続けられるようにすることです。生き続けるということにどういう意味があるのか、と聞いてはいけません。生命にとっては、生き続けるということが内在する最大の目的なのです。日本という国がどのような文化をもち、統治機構をもつのかについては、すべて、日本人が国際社会の中で生き延びられるよう、最適な形態を選ばねばならないということです。

 それでは、今、日本人の生存を脅かしているものには何があるでしょうか?箇条書きにしましょう。

  1. 中国、ロシアという大国の軍事力
  2. エネルギー、食糧の自給率の低さ
  3. 福島第一原発の事故によって拡散した放射性物質の脅威
  4. 原発事故における政府の対応がもたらした、国民の政府不信
  5. 首都圏における直下型大地震による経済的ダメージ
  6. 地球温暖化、世界の生態系、生物多様性の減少に伴う危険
  7. 少子化、あるいは子どもを生み出すことのできない、国家の生活、経済、教育の形
  8. 高齢化によってのしかかってくる介護、医療の負担、社会保障の崩壊
  9. これらの原因で起こる財政問題
  10. 海外からの輸入に頼らなくてはなりたたない農林水産業、地方の過疎化
  11. 工業生産力の優位性の減少・産業の海外への移転
  12. 資産の海外への移動
  13. 低い幸福感、閉塞感、希望のなさ、国家に対する不信

 ほかにもっと脅威はないでしょうか?これぐらいしか取りあえず思い浮かばないので、これを前提にして分析を始めましょう。

 1の軍事力は、有事の際の攻撃によるダメージよりも、軍事力によって、平時から国家的な意思決定が制約されるという形で、現在の日本にダメージを与えています。2のエネルギー、食糧の自給率の問題が、直接これにかかわりますが、日本の自由な国家意思による選択が難しい分野です。しかしながら、地球温暖化と、福島第一原発の事故は、通常なら絶対に不可能なエネルギー政策の転換を日本が行うことを可能にしているともいえます。脱原子力、脱化石エネルギー依存、再生可能エネルギー(日本国内でつくるかどうかは問題ですが)によるエネルギー供給の可能性が生まれています。新しい国家ビジョンには、このエネルギー問題を正面から取り上げなくてはなりません。また、国家の威信を守るため、国境付近の問題を解決するに十分な海軍、空軍力(防衛力)を持つ必要があります。しかしながら大規模戦争に備える必要はないと思います。

 3の放射性物質の拡散にかかわる脅威は新聞報道されているよりも格段に大きく、 食品に対する日本の基準値は厳しくなりましたが、それでも高すぎます。たとえば、日本では米などの食品に500bq/kgという基準がありましたが、ドイツから推奨された基準は最初から8bq/kgでした。調べてみると、セシウムの蓄積によって子供の心臓に障害がでる濃度が食品1kgあたり10bq程度であることが分かり、日本の基準がいかに危険なものかが分かりました。

 放射能で汚染された農地は、特別に汚染のひどい地域を除き、30年たてば濃度がさがり農耕可能になります。だから、この30年間だけは、農業よりも、健康を優先させる政策をとらなくてはならないのです。新しい国家ビジョンには、何よりも国民の生命と健康を守るという強い決意の表明と共に、国民の外部・内部被曝をどの程度までに留めるかという国家目標を示さなくてはなりません。福島県民の避難についても明確にすべきだと思います。

 4,13 の国民の信頼という問題については、他の問題を政府が解決することが真の解決方法なのですが、このような問題を生み出した政府が存在する責任は国民にあるのですから、国民の心のありようを変えていかなくてはなりません。それには龍馬プロジェクトからの提案が役に立つのです。この点については、教育問題そして国民憲章への取り組みとして論じましょう。

 5については、副首都構想がなによりも役に立ちます。国をブロックにわけることは国家の意思決定を難しくするマイナスの方が大きいと思います。

 6 国内においても、海外においても生態系の持続可能性を失わせる活動・社会は認められないという明確な意思表示が必要です。2についてもそうですが、私の言ってきた世界みどり公社案を使うのか、使わないのか、という選択の問題となります。今こそ表明する時だと思います。

 7の少子化問題は、若年層への職業の提供と配分の増加という方法でしか解決できません。そこで、10に対する対策と組み合わせ、生活保護や雇用保険などを支払うかわりに、収入を保証したうえで、農林水産業、地域での土木工事、高齢者世帯の介護などを行う準公務員を国が雇用し、家族で地方に住んでもらい、子供を産んでもらうというシステムが必要になります。

 都会での子育てを可能にするとともに、保育所の維持に大変な公費がつかわれることを防ぐため、保育所を利用せず、家庭で子育てをする母親、父親に、子供一人あたりいくらという子育て手当をだすべきです。いまのこども手当は廃止し、そのかわり教育にコストがかからないようにすべきです。
 また、同一労働同一賃金の原則を徹底すべきです。
 また、これらの政策に必要な費用は、相続税課税の強化と無利子国債の発行で作り出すべきだと思います。

 8の問題は、高齢者の医療の問題と直結するので難しいです。しかしながら、日本の社会保障制度が維持不可能であること、あるいはむりやり存続させると、現役世代にあまりにも厳しい負担を負わせることになることを前提に大きな見直しが必要です。大きくは四つの方向性を打ち出すことが必要です。I)社会保障の再分配機能を強化するため、最低保障の性質をもたせることII)所得保障から、参加保障中心の考え方への転換、すなわち就労と社会参加の機会の分配を行うことIII)現金給付から、サービス給付への転換(II)の理論的帰結をNPOなどを利用しながら図ることIV)医療サービスにつき、医療保険サービスの対象を絞ること。

 これらの妥当性については、当然反論がでるでしょう。したがって、八策の文面嬢は年金医療システム改革を行う、という程度の表現にとどめるべきだと思います。

 11,12は、日本を仕事をしたくなる国、生活したくなる国にすることによって留めるほかない、強制できない問題だと思います。

 ここまでは、国内からの目で国家ビジョンを見てきました。ここからは海外からの目で国家ビジョンを見ておきましょう。国家ビジョンは日本人が敵であると見做されず、逆に広く尊敬をうけるものであることが大切です。

 まず、日本が世界の富を持ちすぎないことが大切です。この点に関してはプラザ合意以降日本は、生産基地を海外に移したり、安定的に金利を低くして世界に資金を還流したりしてきました。日本はすでにその意味でのバランス感覚を持っていると思いますので、国家ビジョンには特に入れる必要はないでしょう。

 次に、欧米人を含め世界各国の人々のプライドや権益を尊重することです。国境線や、様々な権益はもちろんですが、精神的に大切にしてるもの、例えばキリスト教や、美術、建築、音楽、科学の歴史などを否定しない、尊重する国家ビジョンであることが大切です。

 そして日本人と友達になりたいとおもう、自律性と世界における社会性、そして文化性とプライドをもった日本人を育てるための国家ビジョンであるべきです。英語も大切ですが、それ以上に日本人が奇異に見られないように行動パターンを変えることが必要です。むやみに競争したり、徒党を組んだり、空気を読みすぎたりするのが日本人ですが、これまでの教育手法がそのような日本人を作り出した可能性があります。心の中に、しっかりと、価値基準や、倫理性、世界に通用する文化を教育する必要があります。
 かつての日本のように、服従のみを強制する倫理ではありません。世界のどこにいってもその倫理に従っていれば大きなトラブルを起こさない、世界基準の倫理の習得、世界システムの理解に資する教育をする必要があります。従えと教えるのではなく、自然と国民が政府の方を向くような教育でなくてはなりません。しっかりとした学校教育、そして社会人教育が必要でしょう。それを目指した国家ビジョンである必要があります。

 そして、世界の人々が楽しめる、そして役に立つ文化はどんどん世界に発信すべきです。また世界に提唱できる社会システム、国際的なシステムの案があれば、それが世界の人々の幸せにつながるものであれば日本から発信してかまわないと思います。

ここまで述べてきたことを八策という形でまとめてみます。坂本龍馬の船中八策は、統治機構に関するものでしたが、私の案はいろいろな性質のものが混じっています。

新船中八策作成にあたっての考え方(補記)

 船中八策を考えている途中、ある勉強会で若手官僚と日本の抱える問題を議論する機会を得ました。そのなかで、非常に面白い議論が出ました。

 まず、「自ら考え、行動できる日本人が少ない」ことが問題の根本にあるとの指摘がありました。すなわち、心の中に、さまざまな判断、行動を行うための、もっとも基本的な倫理、判断基準が備わっていないという指摘がされたのです。

 また、別の方から、日本人が日本人という基本的な「アイデンティティー」をもっていない、という指摘がされ、これが外交上の問題にもなるのではないかという意見が出されました。フランスでは、自由・平等・博愛という観念が、国民のアイデンティティーとして大切にされていうという指摘もありました。

 私はそれに対し、日本人には沢山のオリジナルな、アイデンティティーといいうるものがあり、それは現代日本においても生きていると、日本画に表現される自然の美、日本の農村・里山に残る美、ジブリ映画に表現されている世界観、「もったいない」などの日本語などを挙げて行きました。そしてそのあと、常に私が大切にしている、日本万博において、テーマ委員会が作成した「人類の進歩と調和」の基礎にあった、“生命の尊重”という価値観に思い至りました。そして、私はすぐに、日本のアイデンティティーとして他に挙げたものと、生命の尊重という言葉で表現される哲学とは、互いに分かちがたく結びついていることに気がつきました。

 さらには、フランスで大切にされる「自由・平等・博愛」の観念は、三つのそれぞれが「生命が尊重されている一つの形」であることにも気がつきました。新船中八策に「生命の尊重」という言葉を特に書きいれた事に違和感を持たれる方がいるかもしれませんが、それが、自由・平等・博愛という言葉に変われば、ああ、なるほどと思われるかもしれません。すなわち、「生命の尊重」という言葉は、それほどに重いのであり、その観念に基礎をおいた倫理を日本人が国民に教育しても何も問題はなく、この言葉が日本人に日本人としてのアイデンティティーを与え、さらには日本人の基本的な倫理規範になるのではないか、と思いました。