吹田市立千里市民センターについて

                          平成24年2月1日

 大阪府は1200ヘクタールに渉る巨大な人工住宅、千里ニュータウンを千里丘陵に建設しました。この開発に当たっては世界のニュータウンを研究し、且つ丹下健三や西山卯三等の東西の学会の巨匠をはじめ、日本の建築界の智慧の総力を挙げ設計を行いました。日本のニュータウンの草分けであり、モデルにもなってきました。
 千里ニュータウンの開発から10年目に、大阪府は、その開発の成功の象徴として記念事業を行いました。記念事業の代表は、北千里公園内の体育館、南千里公園の彫像モニュメントと、南千里センターの二つのビルであり、これらすべてが地元市に寄贈されました。
 両ビルは、当時建築家として世界的に高く評価されていた村野藤吾に設計依頼し たものです。
 村野藤吾は、王立イギリス建築家協会名誉会員、アメリカ建築家協会名誉会員、日本建築家協会会長であり、日本建築学会賞受賞 文化勲章受賞 バチカン大聖グレゴリウス騎士賞受賞 日本建築学会建築大賞などを受賞した、日本を代表する建築家です。

千里市民センターの構造的特徴

 大ホール・集会室が入った南センタービルと、図書館・プラネタリウム・児童ホール・高齢者ホールが入った市民センタービルがあり、まさに記念事業として相応しい内容です。プラネタリウム館は、周辺環境からの微妙な振動に絶える設計でなければなりません。また、図書館は大きな荷重にも耐えることができる設計でなければなりません。このため、これらのビルは通常にかかる二倍の荷重を想定して設計したもので、現在市民センタービルの1F等にある傷はコンクリートの収縮によるクラックで、ビルの強度には全く問題がありません。

技術的特徴

 千里市民センターの両ビルは、よくデザインされたコンクリートプリキャストとして、戦後、昭和期のモダニズム建造物としての先駆的な大切なモデルです。(いまは、昭和期の建造物のほとんどが姿を消しまった)。
山と谷の多い千里丘陵において、このビルの建築においては完全に平らな基礎をつくらず、地形を生かした設計が行われています。土地の高低差を、巧みにホールのなかに取り込み、床(土地)の高低の変化を利用者が面白く感じることができるのです。
バリアフリーの歩道橋は、当時には余りなかった考え方で、歩道橋は利用者に通行の利便性ばかりでなく、新しい空間を提供しています。

芸術的特徴

 千里市民センターの両ビルは、建築家が優美さを表現した建物で、デザインされた構造美と、周囲環境との調和を大切にしています。単調さを排除した窓の構造と配置は、何かひと味異なった美しさを表現しています。一方後からたった周辺の建物群は機能的なもので単調な設計です。
(千里ニュータウン内の建物群は、全てコンクリートによる工業的な単調な繰り返しパターンで、「建築家」が関っていない建物である)

南センタービルと市民センタービルの調和

 二つのビルは同じパターンの繰り返しで、両者を隔てている空間をブリッジで接続しています。これは、当時は余りなかった新しい概念の先駆的な採用でした。
 両ビルの一辺の長さを、それぞれ一方は大きく、一方は小さく、ほぼ四対三の(黄金)比率で設計することで、建物と建物との間に調和のあるアクセントをつけています。駅からみた場合、前方の南センタービルは長く、奥の市民センタービルは短い。奥の建物が小さいので駅側から見た全体像は、遠近法で全体として大きく延びて見えます。これは「桂離宮」において、廊下の幅を、手前を広く奥を狭くして、長い廊下に見せた構造を連想させる、極めて精緻な文化的構造です。

DOCOMOMOが推奨

 DOCOMOMOは、「20世紀のモダニズム建築、敷地周辺環境の調査及び保存」を目的にしている国際機関で、ユネスコに次ぐ国際的な権威のある評価機関とされています。
 DOCOMOMOは、20世紀の重要な、モダニズム建築物の取壊しや美術的価値壊失の危機に対して警鐘を鳴らしています。
 千里ニュータウンは、「日本のDOCOMOMO100選」の65番目に選ばれています。そしてモダニズム建築として千里ニュータウンで唯一残されたのは南千里の村野藤吾の建物なのです。
また、建物の価値を考えて、日本建築学会近畿支部からも 保存要望書が出ています。
 登録文化財申請の資格も建設後50年が目安で、その時期が目の前に来ている建物です。


メッセージ目次に戻る>