少子高齢化対策試案
 シルバーマネー(第二日本国通貨)による
 地方における高齢者ユートピアの創設と、都市部での若者への住宅供給の実現

<目次>

第一章 少子高齢化は日本社会を破壊する

少子高齢化問題のもたらす問題
 日本の少子化問題と今後
 少子化問題の原因は何か
 政府はどう対応してきたのか
 これまでの政府の対応についてのコメント
  ・国民に「犬の道」を歩かせて、精神論で国民の尻を叩いてはなりません
  ・子どもや若い世代を大切にしなくてはなりません
  ・政府が自国通貨を積み立てることは将来に備えることを意味しません

第二章 社会保障の今後

 社会保障が経済に占める規模
 社会保障における財政悪化の原因
 制度改革の可能性

第三章 東京への一極集中と少子化問題

 東京への一極集中の原因
 東京都の高齢化の現状
 地方からみた、東京一極集中・地方消滅を食い止める手法

第四章 2060年からのバックキャスティング

 ・人口
 ・出生数
 ・夫婦の数・婚姻率
 ・夫婦への住宅の供給
 ・新築家屋供給の可能性
 ・高齢者中古家屋の若者への賃貸
 ・日本版CCRC構想
 ・地方移住の可能性
 ・地方での生活可能性 
 ・地方での生活費としてのシルバーマネー
 ・円での供給可能性
 ・年金をシルバーマネーで
 ・2060年の高齢者地域の想像図
 ・皆婚社会か、第三子インセンティブか
 ・女性に若い間に出産することを勧める運動
 ・空き家問題と高齢者の地方移転問題の関係
 ・東京を輝かせるべきだという考え方との整合性

第五章 シルバーマネーとは何か

シルバーマネーの性質

 ・譲渡性
 ・計算単位・価値基準
 ・価値貯蔵手段
 ・担保機能
 ・発行主体
 ・通用強制力の地理的範囲
 ・日本円とのレート

シルバーマネーと日本円との違い
シルバーマネーの並行通貨としての位置づけ
シルバーマネーとエコマネー

第六章 日本社会の現状とシルバーマネーの影響

第七章 シルバーマネーが生み出す社会の姿(具体例)

 

 

はじめに

いかにGDPが中国に抜かれ世界第三位になったとはいえ、日本はいまだにG7のメンバーであり、先進国として世界をリードする国であるはずです。表面的に見ると、東京をはじめ主要都市には美しいビルが立ち並び、デパートやスーパーを見ると、そこには世界中から運ばれてきた見事な商品が溢れんばかりに並べられています。政府・日銀は金融緩和を行い数百兆円の通貨をあらたに発行し、社会にお金は潤沢にあり、国民の失業率も決して高くはありません。しかし表面的に輝いているこの国は、実は制度疲労を起こしており、多くの社会保障制度は崩壊の危機にあり、人間の再生産を行うこともままならず、高齢者のみならず多くの若者も自殺したり孤独死をしたりしていています。少子高齢化による国家と民族の消滅まで憂えられる状況です。なぜこんな悲しいことが起こってしまったのでしょうか。私たちはこの現状を深く知り、その原因についてより深く考えてみる必要があります。

私は、その原因の一つは、世界に価値観の転換があったにもかかわらず、日本人が経済の拡大を極限まで追い求め、どうやって、もっと人間と地球にやさしい経済に転換していくかに真剣に取り組まなかったという、日本の価値観転換の遅れだと思います。二つ目は、社会の解体といわれるものです。それは、日本の古い家族制が解体し、さらに地方の共同体が縮小した後、それに代わって存在したはずの企業社会が、グローバリゼーションの中で共同体として機能せず、さらに都市における共同体も十分に発達しなかったことにあると思います。この二点については第六章において述べることになりますが、私が読者の皆様に伝えなくてはならない、最も重要なことは、我々が、この困難をシルバーマネーという手法で一点突破できるということです。そして、このシルバーマネーというものが、どういうもので、それが社会保障問題の改善、そして少子高齢化対策にどのように役立つのかという点です。そこで、この本の説明は、シルバーマネーの要件と効果を説明することに重点を置き、日本の困難の原因については、説明を最小限にし、シルバーマネーと関係する範囲内にとどめようと思います。

しかし、この本の目的が、このシルバーマネーを説明することにあるとしても、私は、日本の少子高齢化がいかに深刻な状況にあり、社会保障制度や日本の地方がいかに疲弊しているかについて、最低限の部分を、最初に皆様に復習していただきたいと思います。読者の皆様と情報を共有しないと、私の主張する、第二通貨で年金を受け取るオプションを作るなどというドラスティックな手法にも共感いただけないと思うのです。そこでまず「日本の少子高齢化」「社会保障の疲弊」「東京への一極集中」という三点について、現状を紹介することからこの本を始めます。

次いで、その問題に対応するための政策を、バックキャスティングという手法を用いて探っていきます。バックキャスティングとは、将来、問題が解決された社会を想定し、そこはどのような社会なのか予想するのです。そして、現実の社会と、その目的の社会を結びつけるには、何をすればよいのかを、論理的に、そして多くの人の同意を得られるものであるかも考慮しながら考えていきます。そして、なすべきこと、導入すべきシステムの姿が見えてきたら、それが、経済全体に対してどのような影響をあたえるのか、意味をもつのかをもう一度考えるのです。

今回この分析で明らかになったのは、なによりも若者に住宅を供給しなくてはならないことです。そして、住宅供給を可能にするために、高齢者の一部が地方に移転することによって、若者にこれまで高齢者が住んでいた住宅を賃貸するという視点が生まれました。そして、この高齢者の地方への移動を経済的に可能にする方法として、シルバーマネー、日本の第二通貨で年金を受け取るオプションを作り、シルバーマネーを受け取ることを選択した高齢者に、その通貨が使用できる地域に移動してもらうという発想が生まれたのです。第二通貨は、その第二通貨が強制通用力を有する地域において、地域社会における相互扶助活動や高齢者相互の介護システムを動かすために使用されるとともに、ほとんどすべての生活の必要を満たすために使われます。

これまで、そのような目的をもった通貨として、エコマネーなどの地域通貨が考えられ、試行されてきました。しかし、これまでの地域通貨では、大きな社会問題を解決することができていません。そこで、この第二通貨、シルバーマネーはどんなもので、円やエコマネーとどう違うのか、社会の中でどのような役割を果たすのかを、通貨の歴史にまで遡って詳しく分析しなくてはなりません。

そして、バックキャスティングをするときに必要なのが、シルバーマネーが導入されたときに、実際にどのような影響が社会に現れるのかを確認しておく作業です。日本人の苦しみを軽減しようとするシステムが社会保障システムですから、そこにどのような影響がでるのかをまず確認していきます。そして、シルバーマネーが社会保障の観点を越えてどのような社会を作ることにつながるのか、第六章の後半ではこの難題に取り組んでいます。その後、第七章では、具体的なシルバーマネー地域を想定し、そこにおける、シルバーマネー、お金、そして商品、人の動きを予想してみたいと思います。

そしてここでは、ご挨拶のかわりに、私からごく簡単に、私が今後どのような社会を目指すのかという、立ち位置を示させていただきたいと思います。

私は、学者や研究者ではなく政治家です。そして政治家は、社会全体についての広いビジョンを持たなくてはならないのは当然ですが、その活動においては、まず、具体的に一番苦しんでいる人、あるいは将来的に苦しむであろう人の苦しみを取り除くことから始めなくてはならないと考えています。少子高齢化や社会保障の破たんをもたらした社会のひずみの中で、誰が、どのように苦しんでいるのかを考えるところから始めなくてはなりません。

そして、私たちは、自分たちの行動の動機を深く見つめなおす必要があります。もちろん、全ての人が競争もしますし、人を非難・攻撃することもあります。しかし、大きな心の傾向が、他者を慈しみ育てようとする思いになくてはならないと思います。実は私たちは、多くの人々のそのような気持ち「愛」と呼ばれるものに囲まれていないと生きていけない存在なのです。現在「円」で営まれているさまざまな活動にも、競争ではなく、愛に満ちたものはあります。あるいは円の力を増幅させる、銀行や企業などの行動指針にも、「愛」の要素がちりばめられるようになりました。しかしながら、「円」で行われる活動の基本には、私有財産制度があり、欲望の充足があり、効率主義と競争原理があるのです。そこで、人と人とが支えあう「愛」の気持ち、「協同」の気持ちを素直に現実化できるツールとしての第二通貨を構想するのだ、という視点を忘れてはなりません。

そして次に考えるのは、私たちが何を守りたいのか、何を作り出したいのかということを見つめなおすことです。今の資本主義、東京一極集中の日本社会が私たちの本当に守りたいものを守れているのか、創り出したいものを創っているのか、それが、もしできていないのであれば、何がそれを難しくしているのか、という視点から時代を見なくてはなりません。「円」に縛られない「高齢者が本当にしたかったこと」が実現できる地域としての「シルバーマネー地域」を作るべきです。キーワードは「風土・歴史・緑・芸術・文化・スポーツ」です。

最後に、同じ内容を文明論の視点から述べたいと思います。私が、異なる文明を考える時に、印象的で特によく思い出すのがアマゾンに住んでいる「裸族」の人たちの存在です。彼らには他の文明社会で生きていくための基本的能力が欠けているわけではありません。近代文明と接した後、立派にその構成員になれるのです。しかしながら、彼らは、衣服さえも捨て、最小限の道具だけを使って、アマゾンの環境の中で適応し生き延びてきました。彼らが不幸せでないことは、その表情から分かります。すなわち、人間が植物と向かい合う生活を送る時には、比較的戦闘も起こらず、お金を使った活動もせず、幸せに生きていくことが可能なのです。日本の縄文時代も、海によって大陸と隔てられ外敵が少なかったという条件から、アマゾンの裸族と同じく、植物と向き合った生活をしていたと言えるでしょう。これらの文明を仮に「農業文明」(あるいは「里山文明」)と呼ぶことにしましょう。この文明は決して劣っているとか遅れていると評価してはなりません。縄文文明にしても、栗を育て、稲を育てて一万数千年持続することができた、もっとも「持続可能性の高い」文明だったのです。この文明においては、植物を育てるという行為と、共同体の構成員間の協力と、分配が広く行われていたことが知られています。

一方、植物が少なく、自然環境が厳しく、外敵が多い環境の下では、人間は食料としての動物を囲い込み、身を守るための住居や都市、他者を凌駕するための道具を高度に発達させていきます。自ら育てることよりも、他人から交易や闘争によって必要なものを手に入れることが合理的であり、お金が発明され、技術が発達し、現在の世界を広く覆う「都市文明」となるのです。この都市文明においては、人間の間にヒエラルキーが生まれ、取引と収奪、そして経済圏の拡大が行動原理として残ります。この行動原理が、資本主義という経済体制となり、いま地球生態系の環境制約や乗り越えるべきでない人間性の壁(あるいは人間性の尊重というもの)にぶつかっていると考えられます。

そして、次に都市文明の中で、植物や動物の世話、あるいは競争や経済活動に忙殺されない人々が生まれ、その人たちが精神文明である「芸術・科学・スポーツ文明」を生み出したと考えられます。文明がこのレベルに至ると、人間と人間との闘争の傾向が減少し、人間と人間の切磋琢磨と協調、そして洗練と共感が行動原理となります。

私が今申し上げた、「農業文明」「都市文明」「芸術・科学・スポーツ文明」というのは、現実に存在するある国や民族が、どの段階にあるのか分析するための観念ではありません。同じ国家に属する人の中にも、企業家のように、より「都市文明」の感覚を持つ人がいて、公務員や福祉分野で働く方々のように「農業文明」の感覚を持たれる人がいる、そして、法曹界や芸術家などは、「芸術・科学・スポーツ文明」の中に住んでいると考えられるでしょう。すなわちこの三つの文明の分類は思考のためのツールにすぎません。

しかしながら、いま日本を覆っている閉塞と社会の制度疲労は、都市文明・資本主義の限界を示しているような気がしてなりません。私の提唱するシルバーマネーは、社会の「農業文明」「芸術・科学・スポーツ文明」の要素を強化し、そして、この時代に日本に住む人たちの苦しみを軽減し、喜びを倍加させるためのツールとなりえるのではないかと考えます。

私がこの本の中に書き込んだ情報や思考は、ほとんど他の先賢の努力により生み出されたもので、私は単にそれらの資産を整理し、より分かりやすく提示することを行ったにすぎません。私に情報を下さったすべての方々に感謝し、この本の制作を行って下さった、       社の皆様に感謝し、私を支えてくれている家族に感謝してこの本の前文とさせていただきます。

この本が日本の大きな苦しみを取り除く一助となることを祈りつつ。

山口克也

 

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