山口克也のブログ

日本の農業の将来について

NHKで二夜連続で日本の農業の将来についての特集を放送していた。

一夜目は、日本政府が農地を集約化し、大規模な農地を持つ農家にだけ補助を行なっていく政策に切り替えたため、また、JAなどが農家からの米の買入価格を大幅に引き下げたため、日本の農業生産の大きな部分を占める小規模農家の経営が立ちゆかなくなっていることをレポートしていた。

二夜目は、農業に関係する幅広い世代の人たちによる日本の農業の将来についての討論を行なっていた。NHKは、財界の、オーストラリアなどとの自由貿易協定(FTA)を進めたいとう意向を背景にして、政府が農業分野の自由化の準備を進めており、それが具体的にはこのような小規模農家の切捨てになっていると説明していた。

討論会の中では、一方では、農業分野の自由化は不可避的なのであるから、その準備を進めるべきだ、という声、もう一方では、現在の政府の政策では、間違いなく多くの小規模農家の経営が破綻し、農業を放棄することになるから、食料の安全保障、国土保全の面から政府は農業を保護するべきだ、という声が聞かれた。

この番組を見た私の感想は以下のようなものである。簡単にいうと、多くの人が、縦割り行政の中の思考を行なっており、それが有効な施策の実現を阻んでいるということだ。

まず、工業分野の輸出競争力を保つため、農業を切り捨てるということは、ありえない選択だ。なぜなら、日本のような貿易黒字国にとって、これ以上黒字を増加させると、結局円高をもたらし、輸出競争力を増すための努力を無にしてしまうからだ。討論会では、このような議論をしていない。農業政策と輸出政策が、同じくらいの重みで関係している話題について、輸出政策の側面からの検討を行なっていなかった。

また、農業の役割を、農産品の生産を中心に考える人が多かったが、これは農林水産省の従来の役割のなかに閉じこもりすぎた考え方だと思う。農村という共同体の保全、国土保全を超えた、日本の文化の保全、あるいは、団塊世代を受け入れる場所としての地方という視点で議論をしなくてはならない。

最後に地球温暖化と世界的な食糧危機に対する対応という環境省が関連する分野の視点も抜けていた。

私は、この番組を見ながら一つの考えに思い至った。耕作放棄地を減少させ、農村文化を守り、農村の高齢化を防ぐため、現在の「ワーキング・プアー」の人たちを教育した上、農村の後継者のいない、農業生産者に送り込み、そこに補助金を与えて、耕作の補助者として育てることは出来ないだろうか?

現在のワーキング・プアーの問題は、詳しい議論は明日に廻すが、現在の都会における、工業もサービス業も、彼らの人生を豊かにするような労働を供給できないところにも一因があると思う。農業は彼らに、彼らの人生を豊かにするような労働を与えないだろうか?

私のこの言葉は、どうやって効率的に農産物の生産を行なうか、という思考からは出てこない考え方だ。私は、これからの社会は、GDPの増加よりも、国民総幸福の増加を目的にすべきであると考えている。それを可能にするためには、いかに各産業の生産性を高めるか、という視点よりも、さまざまな産業分野にいかに人材を配置するか、同時に国土にいかに、どのような共同体を配置するかという視点が大切になってくる。農業においても、そこで、どれだけ従事者が人生を充実させえる労働が供給できるか、という視点が大切になると思う。

そして、どのような労働を供給するかという視点も超えて、地方の農業を主体とする地域のなかで、どれだけ生きがいを感じることのできる共同体を形成できるかという視点も大切になるであろう。

この意味で、先に述べたように、農林水産省だけではなく、さまざまな省庁の共同作業を行なわない限り、この農業問題も解決しないといわざるを得ないのだ。国民を各地域や産業へどのように誘導するか、という問題を考えている行政組織はあるのだろうか?