山口克也のブログ

進化論について

日経サイエンス2009年4月号では、「種の起源」から150年ということで“進化する進化論”という特集が組まれている。進化論の歴史、変遷が書かれていたのだが、この歴史の中で、木村資生の「分子進化の中立論」、今西錦司の「棲み分け理論」がほとんど取り上げられていなかったのは、いただけない。なぜなら、この両理論は、進化論に潜在する、社会進化論に通じる思想的危険性を緩和する、重要な役割を果たしているからだ。

生命が、「突然変異」と「自然選択」によって進化していくというのが、ダーウィンの進化論の基本理論であり、この理論は20世紀前半、メンデルの遺伝の法則と統合され、理論基盤が確立、1953年にDNAの二重らせん構造が発見され、分子レベルでの進化研究がおこなわれるようになった。

進化論の第二の進化ともいわれるものが、木村資生による「分子進化の中立性」の提唱で 生物の進化を分子レベルで見ると、自然選択によって起こるDNAの変化はいわば「少数派」であり、ほとんどは、生き残りに有利でも、不利でもない、いわば中立的な変化であるとされたのである。この雑誌に“自然選択の重要性”を強調する趣旨で書かれた、ある論文にも、

研究対象になったショウジョウバエの6000個の遺伝子のうち、自然選択が働いて残ったものが、五分の一、あとの五分の四は自然選択によらない遺伝的浮動によるものだ、という報告がなされている。

分子進化の中立性から導き出される、論理的な帰結は、生物の群れは、同じ環境のもとでも自然に変化し、多様性を持っていくということである。そして、重要なのは、多様性は、群れを構成する構成員の間に蓄積するだけでなく、群れと群れの間にも蓄積していくということだ。

従来の進化論において、「自然選択」されるのは、個体であると考えられていた。群れの中に、特定の環境に適応力を持つ個体が突然変異によって生まれ、それが沢山の子孫を持つことによって自然選択されていく、という状況も、ありえなくはないだろう。

しかしながら、よりあり得るのは、環境変化の場において、それまである地域で中心的な役割を果たしていたグルーブが衰退し、それまでの環境の下では“中立的な”進化により別の個性を獲得していたグループが移動してきて、代わりに中心的な役割を果たすことになるという状況ではなかろうか。

今西錦司は、進化論的な観点からは、「進化における生物の主体性」という観念を用いるなど、問題も多いと思うが、生態学者としての視点から、ある地域における、生物種の変化が、個体ではなく種という単位で起こり、より広い地域をみると、類縁関根にある、さまざまな種が棲み分けをしている、という発見をし、このような事態が、個体の変異と、自然選択という考えでは説明できないのではないか、という問題提起をしたことが、非常に重要であると思う。

今西錦司のいう、現実の自然界における、特定地域における種の変遷は、「分子進化における中立性」からもたらされる「多様性の蓄積」と「移動」という観念によって、明確に説明可能だ。

すなわち、ダーウィンの唱えた、「突然変異」と「自然選択」というキーワードに、木村、今西理論は、「多様化」と「棲み分け」という観念を付け加えていると思う。

特定の環境とはなれて、絶対的に優れた種など、これまで自然界には存在しなかった。 この地球上には、これからもさまざまな個性をもった色々な生命が共生し、棲み分けを していかなくてはならない。だからこそ、進化を語る時、木村資生と、今西錦司という二人の日本人科学者の名前を大切にしなくてはならないと考えるのだが、どうだろうか。

副島隆彦の「恐慌前夜」を読んで

「恐慌前夜」を読んだ。リーマンブラザーズ破綻や、株価の際限のない破綻を予見し、この破綻を導いた真の原因である、アメリカの証券会社や投資銀行のビジネスモデルの歪みを白日の下にさらす、恐るべき本であったと思う。いかに、日本の企業や銀行、そこに働く人たちが、このビジネスモデルのもとに搾取され、辛い目にあってきたかを考えると、現在雪崩を打って崩壊しているこのモデルは、もっと早くに崩壊するべきであったという思いがする。

私は、この本を副島氏のほとんどの言説に共感しつつ読んだ。しかしながら、どうしても同感できなかったのは、この本の最後にあった、アメリカの今後に関する重要な一文である。

アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本からの撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。これからアメリカ帝国の地獄の苦しみが始まるのである。

という、この本の最後のくだりである。アメリカ帝国はこれから本当に地獄の苦しみを味わうのだろうか?

ビジネスモデルが消えたのだから、いまからいくらアメリカ政府が銀行や証券に資本注入をしても、これらの企業が今後現在のままの事業を継続することはありえない。これらの企業の大規模な破綻が今後とも続くものと思われる。しかしながら、そんなことは、アメリカの政府は最初から分かっている。つぶして、また修正してつくりなおせばよいと考えているはずだ。

アメリカは、この間住宅を供給し続けた。住宅価格は大幅に下がり、建設会社は大量に倒産するだろうが、国民の住むところはある。また、国民の衣、食もどう考えても足りている。国民は破産した人でさえ、借金が免除されてピンピンしている。個人消費は旺盛なのだ。製造業を行うためのインフラは、ほとんど失われてしまったが、株式の価格がとことんまで落ちたら、あとは世界的に資金は行き場を失っているので、アメリカが世界にあらたなアメリカ社会の「めざすべき姿」今後の「発展するであろう産業」さえ提示できたなら、世界からアメリカに資金はいくらでも入ってくる。アメリカは資産さえもっていれば、働かなくても食べていける国にすでになっているのだ。悲惨なのは、働き口を失ったアメリカの貧困層であり、アメリカ帝国が苦しむわけではない。

問題は、政府に最後に集まってくる赤字をアメリカ政府がどのように処理するかだ。副島氏によると、アメリカは中央銀行と国家そのものを破綻させて、債務不履行にして、そして、そのあと破産法に基づく破産団体にする。あるいは民事再生法で、対外的な(外国からの投資金などの)債権をすべてチャラにする気だ、と書いている。そのために米ドルを三分の一に切り下げてもかまわないと思っている、というのである。

この副島説によると、やっぱり泣くのは日本、中国なのではないか。日本にとって大事なのは、まずアメリカの破たんからうける損害を最小にすることである。そしてアメリカが目指すべき姿についてそっと助言することであろう。「戦争経済」に突入するのではなく、「地球温暖化との闘い」のためにエネルギー転換をし、必要なあらたな産業インフラをつくることにより経済を回復させましょうと。

それでは、このような状況のもと、日本は何をすべきなのか?

補正予算が衆議院で可決されたが、株価の下落や経済状況に対応するため政府は、新たに第二弾、第三弾の経済対策を迫られるだろう。

これらの経済対策の中には、日本が世界経済のなかにおいて、目指すべきヴィジョンが織り込まれていなくてはならない。日本の将来を憂う者として、一言私見を述べさせていただきたい。

一番大切なのは、不況が長期にわたって日本に大きなダメージを与える分野への手当である。すでに1990年代後半からの経験によって、政府は若者に適切に就業機会を与えないことが、いかに長期的に社会的に“手のかかる”人たちを作ってしまうかに気がついたことだろう。就学の途中、あるいは社会人として育っていく時代の早いうちに適切な指導をうけないと、人は社会に貢献できる力を身についけることができない。単純な仕事しかできない、社会のお荷物になってしまうのだ。これは当人たちにとっても、社会にとってももっとも不幸なことだ。そこで、政府は国民の雇用と修学への援助をなによりも優先して行わなくてはならない。

同時に、アメリカについても書いたが、日本においてもこの機会に地球温暖化に対応できる社会体制をなんとしてもつくっていかなくてはならない。日本は、再生可能エネルギー社会が成り立つことを世界に知らしめるべき責任がある。この分野に経済対策として使うことのできる資金を充てるべきである。

日本はこの機会に、日本中の廃棄物処理場など、他に使い道のない場所に太陽光発電基地を猛スピードで作り始めるべきだ。事業主体は、電力会社でも、地方自治体でも、民間でもかまわない。事業の採算が合うようにするために、再生可能エネルギーを電力の市価よりも高く買い上げる固定価格買い取り制度を導入するべきであり、その財源としてかつての道路特定財源の一部も利用するべきだ。

当面の経済対策としては、市町村や企業が発電基地を整備するための費用を全額補助するくらいのことをしたらどうか。この部分は土木工事だから、社会に広く資金をまわすことができる。

社会の転換期である。必要な分野に集中してお金を使ってもらいたい。

 

山寺で考えたこと

5月の末に、東北を訪れた機会に、昔から、一度は見に行った方が良いといわれていた、立石寺(通称 山寺)に参拝する機会を得た。

水墨画によく描かれている、黄山にも似た巨大な岩でできた山肌の上に、杉やさまざまな落葉樹がうっそうと生い茂り、千段を超える石段が、その木々の中を縫って上り、私を本堂まで導いてくれる。

その石段の脇に、草と名前も知らない可憐な野花に隠されながら、見事な石仏が沢山置かれてあった。その石仏の、すべての苦しみを味わいながらそこから抜け出たような、不思議な優しい微笑みを見ていると、自分の心の中にあった、さまざまな苦しみや怒りや悲しみが、少しずつ溶かされていくような気がした。

火の鳥「鳳凰編」で、手塚治虫が描いた寺は、ここがモデルになっていたのではないかなどと考えながら、本堂の近くまで上がると、階段と、杉と山門が、神聖感のある、落ちついた美しいアングルを形作っている。階段を昇るほとんどの人がそこで足をとめ見入っていた。

本堂で、よくこんな高い場所に担ぎあげたと驚くほど巨大な金銅仏に参拝してから、眺望のある場所まで出た。霞みながら何重にもまわりを取り囲む山々の中に、東北の様式を残した民家や田畑が広がる、のどかな様子を見ることができた。

その時、私はその場所が急に、私が新婚旅行の時に訪ねたバチカンの教会の中と重なって見えた。そこに流れている空気が、教会の中に流れていた空気ととても似ているのに気がついたのだ。あのときのミサの音楽が、耳元で同じように鳴り響くような思いがした。私は、これと似た経験を別の場所でしている。丹波篠山のチルドレンズミュージアムに行った時、そこは聖地、というわけではないが、そこに、非常に温かな、心を包み込むような特別な空気、というか雰囲気が流れているのを感じたことがあった。

そして、私はそのとき考えた。私はイスラムのモスクは、行ったことがないけれど、もしかしたら、世界の聖地という場所には、みな同じような空気が流れているのではないかと。人々の平和と心の平穏を願う気持ちには、人種や宗教の差なんてないのではないかということを、痛切に感じたのだ。問題を起こすのは、宗教を利用して、自分の正統性をあくまでも主張し続ける人間の心の別の働きではないかと思った。

だから、私は、すべての世界の宗教は理解しあえると、心の底から感じた。

私は、蝋燭に「地球温暖化が止まりますように」と書いて奉納した。人間の心の一体性が、現在の苦境から人類を救ってくれることを祈りながら。

大気中の窒素の由来について

私が地球温暖化に関して行ってきた研究のテーマは、簡単に言うと、地球上の炭素の循環を回復することだった。このテーマでの成果の一部はこのブログでも書いてきたが、今日は、この炭素循環と少し離れた、窒素の循環という目で、少し面白い発見をしたので(別に私が一番に発見したというわけではないが)ここに書いておこうと思う。

それは、僕たちの吸っている空気の中にある窒素ガスがどこから来たのかということである。僕たちは小学生のころから、空気のなかの酸素は植物の光合成で出来たのだと習っている。ところが、大気の中に78%もある窒素がどこから来たのかについては、なにも習わなかったように思う。

最近、僕は、土のなかの細菌が、土中の硝酸塩などを窒素ガスなどに変えてエネルギーを得ている(この作用も呼吸という)説明図をぼやっと眺めているとき、おや?この大気中に排出された窒素ガスはそれからどうなるんだろう?これでは、窒素ガスは大気中に溜まるばかりではないか?もしそうなら、大気中にこれだけ窒素が多いのは、この地下の細菌群の働きが原因ではないのか?と思いつき、生物に無関係に窒素ガスが大気中に排出される化学メカニズムを探してみたが、どうも見当たらない。

それからいろいろ文献を見てみると、やはりどうも地球大気の窒素が、ほとんど生物由来であるということが分かってきた。窒素化合物を窒素ガスに変えて大気中に放出しているのは、「脱窒菌」や「光合成細菌」などであり、地下生物圏の働きが大きく影響していたのだ。

そこでふと、火星や金星の大気にも窒素ガスが含まれていたのではないか、ということが気になり、太陽系の惑星の大気組成を見てみた。そこで非常に面白い発見をしたのだ。

金星の大気には3.5%窒素ガスが含まれており、火星の大気にも2.7%含まれている。そして面白いのは土星の衛星のタイタンの大気の主成分(97%)は窒素ということだ。金星や火星には、かって生命が存在したか、あるいは現在でも地下に存在するかもしれず、タイタンには細菌レベルの生命が発生しているが、光合成の発明までには至っていないという仮説を考えることができる。

もっと調べてみると、アメリカ・南カリフォルニア大学のKenneth Nealson教授は2006年に「宇宙で生物の痕跡探しをするのであれば、水や二酸化炭素ではなく窒素を探すべきだ」、と発言している。私の勘もなかなかのものだと思った。

地下の細菌が地球の窒素をもたらした(これは仮説ではなく、科学界の通説になっている)という認識は、世界の見方を変える。少なくとも今私は、風を感じるごとに、「この空気の78%は、細菌がくれたもの、21%は植物がくれたもの、自分は地球の生命圏に支えられて生きているんだな」というしみじみとした思いを噛みしめている。

そして夜空をみて、それまで寂しかった夜空が、急に生き生きと、好ましいものに感じられるようになった。生命は宇宙に遍在している、という感覚だ。

福田首相の施政方針演説

皆さんは昨日の福田首相の施政方針演説を聞かれましたか?演説を聞かれ、あるいは、毎日新聞あるいは朝日新聞で福田首相の演説の全文を見られたかたは、日本政府の環境問題に対する取組が、全く新しいフェーズに入ったことに気付かれたと思います。(読売新聞が抜粋しか掲載されていなかったのは残念です。産経日経はまだチェックしていない)

私は、非常に感動しています。それは、このような大きな前進があった影に、どれだけの多くの人々の、人知れず行なわれた善意の努力があったかを感じることが出来るからです。演説を行なわれている時の福田首相のお顔は、自らがどれだけ大きな歴史を作っているかを、しっかりと認識をされている政治家のお顔でした。

どれだけ、大きく日本政府が変わったか。それは、私が何をどう説明するよりも施政方針演説のむすびの部分を読んでいただければ分るでしょう。一部を抜粋させていただきます。

人類はこれまで、幾多の困難を乗り越え、二十一世紀を迎えました。今我々が直面しているのは、20世紀に経験した戦争や核兵器開発などといった、各国の利害が絡み合う問題ではなく、放っておけば地球全体が滅びるという危機なのです。
この地球の危機に際して、日本が果たすべき役割は極めて大きいと言えます。 日本は地球環境の危機と闘う最も強力な武器を持っています。省エネルギーや環境保全に役立つ技術力です。日本はこうした技術力を活用して、世界でも有数の、エネルギー効率の高い社会を築いたのです。 なぜ、そのようなことが可能であったのか。日本には、優れた技術を開発する力、すなわち、人材という得がたい資源の宝庫があったからです。数回にわたるエネルギー危機を経験した日本は、人の力、人の能力によってその危機を回避し、ついには、地球の危機を救えるかもしれない、高い技術力を保有するに至りました。 無駄な排出を極力減らす、低炭素社会を実現するために、日本の力、日本人の力を今、世界が必要としているのです。また地球環境を守ることは、私たちの大切な家族、子や孫の生命を守ることでもあるのです。
私は日本人の力を信じています。日本人は、目前に困難があろうとも、必ずや未来を切り拓く、その力があると確信しています。「井戸を掘るなら、水が沸くまで掘れ」 明治時代の農村指導者である石川理紀之助の言葉です。疲弊にあえぐ東北の農村復興にその生涯を捧(ささ)げた人物です。彼はどんな時も決して諦(あきら)めることなく、結果を出すまで努力することの大切さを教えました。
そして彼は、様々な事業において、「何よりも得難いのは信頼である。進歩とは、厚い信頼でできた巣の中ですくすく育つのだ」とも述べています。 私は本日申し上げました政策を推進するに当たり、どんな困難があろうとも、諦めずに全力で結果を出す努力をしてまいります。そして活力ある日本、世界に貢献する日本へと進歩するためにも、進歩を育む信頼という巣を、国民と行政、国民と政治の間につくってまいりたいと思います。
国民の皆様のご理解とご協力を、切に望むものであります。

佐川町で考えたこと

昨日まで高知県佐川町で行なわれていた「水の国際会議」に参加してきた。地方でこのような会議や学会が開かれるのは珍しく佐川町としては冒険的な試みだったらしいが、佐川町の人たちの暖かい歓迎や、職員のみなさんの熱意に支えられ、また中心となって動かれた私の恩師の山崎先生の幅広い人脈のおかげもあり、佐川町に大きな財産を残す国際会議になったことと思う。第二回の国際会議が中国の上海で行なわれることも決まり、会議は成功だったのではないかと考える。

水熱科学という技術の幅広さを改めて感じただけでなく、地球の生命圏が、特に地下で水熱反応に支えられているかもしれないという発表など、工学だけでなく、地質学、生物学など幅広い学問分野にわたる知見を得ることができ、東北大学時代の同僚とも再会でき大変楽しい時間を過ごせた。

退任される高知県の橋本大二郎知事が、会議の冒頭で、未来の人たちのために環境を守り水の技術を発展させることの大切さを述べるなかで、「私の兄の橋本龍太郎は、倒れる直前まで地球の砂漠化の心配をしていた」などのお話をしてくださったのが印象に強く残っている。

この学会のなかで、佐川町の町長と経済関係者などを交えたシンポジウムが開かれ、佐川町にたいし、水熱技術がどのように貢献できるのかという討論が、行なわれた。私はそのとき、フロアーから、「町としてはどのような未来の姿を求めているのか、佐川町はいったい何がしたいのか」という質問をした。町長からはそのときすぐには、はっきりとした答えは返ってこなかったが、 僕は、あとからその質問をしたことが適切だったかを含めて、自分からなぜその言葉がでたのかを考えていた。そして、その質問は本当に大事なポイントを含んでいると感じた。

それは町という組織は、もちろんそこに住む人たちの生活や、産業を守るという仕事、責任がある。しかしながら、そこにただ人が住んでいるというだけでは、県や国がそこにお金を投じ、その町を特に大切にする意味はない。佐川町は過疎の村ではないが、ひどい過疎の集落などについては、その集落を存続させることの社会的意味が問われる時代だからだ。その町をあずかる行政は、この町が、他の地域にどのように貢献できるかを常に問い続けなくてはならないし、そこで、本当に町としてしなくてはいけない仕事がみつけられたら、そこから町の発展が始まるだろうと考えたのだ。

その時一つの例として私は、「大阪にはきれいな海がない。汚い海岸で、混雑した海で若者が遊んでいるのを思い起こすと、比較的近いこの高知の美しい海や川に彼らを呼ぶことがどうしてできないのかと思う。高知や、佐川町は都会の人たちがこの自然と親しむことが出来るように、この自然をさまざまに映像化し、広報しなくてはならないし、町がホテルになってオプショナルツアーを考えるような気持ちで、旅行者が自然と触れ合えるよう、自然をある程度整備することが義務だと思うし、町の発展にもつながるだろう」と述べた。それ以外にも、佐川町がしたらよいと思える施策を思いつくまま担当者に話した。
市町村の施策についてさまざまに考えるのは、僕にとって久しぶりで、知的にも、とても楽しい時間であった。

インカ・マヤ・アステカ展で考えたこと

先日神戸市立博物館で行なわれていた、インカ・マヤ・アステカ展を見てきた。マヤ文明の石の彫刻、アステカ・先アステカ文明の建築・その多くがスペインの略奪により失われたが、少しだけ略奪をのがれて残されたインカ帝国の金細工や石の建造物などは、日本の同時代の造形と比較しても非常に高い技術力を感じるものだ。

しかしながら、いけにえや、自己犠牲などがかもし出す、いかにも閉塞した空気がすこし私の気分を悪くした。

しかし、その後少し考えた。この文明展は、この文明のもっとも高度に発展していた、農業や、天文学の展示を十分に行なっていないと。あるいは、その文明を今に伝えて生きる人たちの生きた顔を表現していないと。

すなわち、土の中から掘り出された土器などの遺物を並べて、その時代や文明を表現することは、ここまで発達してきた考古学という分野の展開を考えた時、不十分なものとなっていないだろうか?あるいは、これらの文明から、現代社会がひきついでいる様々な栽培植物(トウモロコシ・ジャガイモ・カボチャ・インゲン豆・唐辛子・ピーナッツ・カカオ豆・パイナップルなど、現在の栽培植物の五分の三はアメリカ大陸原産でインディオによって高度に栽培植物化されたといわれている)を見たとき、これらの植物を生み出した農耕技術そのものが、この文明の中心だったはずで、簡単に略奪し、移動し売買できる工芸品は、この文明の最も重要なメッセージを含んだ遺品といえるだろうか?という疑問が浮かんだのである。

マヤの支配者が、死の恐怖をもって統治を行なっていたことは事実だろう。そして、この文明に生きた人たちは「人の血を求める神」のもとで精神の平穏を得ることは、おそらできなかったであろう。これをかんがえると、飛鳥時代以降の日本が和歌などのなかで、自然や恋をいつくしむ文化を育て国家の求心力にしたことや、一神教を崇拝する国々が、神の慈愛を統治の基本に据えたことは、統治の方法としてより高いレベルのものであり、統治される側も幸せであったといえよう。

世界がマヤの時代のように死の恐怖をもって統治される時代に戻らないことを祈るのみである。

日本の農業の将来について

NHKで二夜連続で日本の農業の将来についての特集を放送していた。

一夜目は、日本政府が農地を集約化し、大規模な農地を持つ農家にだけ補助を行なっていく政策に切り替えたため、また、JAなどが農家からの米の買入価格を大幅に引き下げたため、日本の農業生産の大きな部分を占める小規模農家の経営が立ちゆかなくなっていることをレポートしていた。

二夜目は、農業に関係する幅広い世代の人たちによる日本の農業の将来についての討論を行なっていた。NHKは、財界の、オーストラリアなどとの自由貿易協定(FTA)を進めたいとう意向を背景にして、政府が農業分野の自由化の準備を進めており、それが具体的にはこのような小規模農家の切捨てになっていると説明していた。

討論会の中では、一方では、農業分野の自由化は不可避的なのであるから、その準備を進めるべきだ、という声、もう一方では、現在の政府の政策では、間違いなく多くの小規模農家の経営が破綻し、農業を放棄することになるから、食料の安全保障、国土保全の面から政府は農業を保護するべきだ、という声が聞かれた。

この番組を見た私の感想は以下のようなものである。簡単にいうと、多くの人が、縦割り行政の中の思考を行なっており、それが有効な施策の実現を阻んでいるということだ。

まず、工業分野の輸出競争力を保つため、農業を切り捨てるということは、ありえない選択だ。なぜなら、日本のような貿易黒字国にとって、これ以上黒字を増加させると、結局円高をもたらし、輸出競争力を増すための努力を無にしてしまうからだ。討論会では、このような議論をしていない。農業政策と輸出政策が、同じくらいの重みで関係している話題について、輸出政策の側面からの検討を行なっていなかった。

また、農業の役割を、農産品の生産を中心に考える人が多かったが、これは農林水産省の従来の役割のなかに閉じこもりすぎた考え方だと思う。農村という共同体の保全、国土保全を超えた、日本の文化の保全、あるいは、団塊世代を受け入れる場所としての地方という視点で議論をしなくてはならない。

最後に地球温暖化と世界的な食糧危機に対する対応という環境省が関連する分野の視点も抜けていた。

私は、この番組を見ながら一つの考えに思い至った。耕作放棄地を減少させ、農村文化を守り、農村の高齢化を防ぐため、現在の「ワーキング・プアー」の人たちを教育した上、農村の後継者のいない、農業生産者に送り込み、そこに補助金を与えて、耕作の補助者として育てることは出来ないだろうか?

現在のワーキング・プアーの問題は、詳しい議論は明日に廻すが、現在の都会における、工業もサービス業も、彼らの人生を豊かにするような労働を供給できないところにも一因があると思う。農業は彼らに、彼らの人生を豊かにするような労働を与えないだろうか?

私のこの言葉は、どうやって効率的に農産物の生産を行なうか、という思考からは出てこない考え方だ。私は、これからの社会は、GDPの増加よりも、国民総幸福の増加を目的にすべきであると考えている。それを可能にするためには、いかに各産業の生産性を高めるか、という視点よりも、さまざまな産業分野にいかに人材を配置するか、同時に国土にいかに、どのような共同体を配置するかという視点が大切になってくる。農業においても、そこで、どれだけ従事者が人生を充実させえる労働が供給できるか、という視点が大切になると思う。

そして、どのような労働を供給するかという視点も超えて、地方の農業を主体とする地域のなかで、どれだけ生きがいを感じることのできる共同体を形成できるかという視点も大切になるであろう。

この意味で、先に述べたように、農林水産省だけではなく、さまざまな省庁の共同作業を行なわない限り、この農業問題も解決しないといわざるを得ないのだ。国民を各地域や産業へどのように誘導するか、という問題を考えている行政組織はあるのだろうか?

子どもに万博公園について話したこと

今日、我が家の5歳になる双子の男の子たちを寝かしつけようとした時、彼らが僕にせがんだ。「パパ。万博公園のお話をしてよ。ボク万博公園が大好きなの。」
「うん。それは難しいなあ。それじゃあ、あそこで、30年、いやもう40年近く前になるかな、万国博覧会という世界中から沢山の人があつまったお祭りがあったことを話さなくちゃいけないね。」
「大きなパーティーがあったの?」
「そうだよ、大きな大きなパーティーがあったんだよ。昔はね、飛行機も大きなお船もなかったからね。日本に住んでいる人たちは、日本という島の外に住んでいる人たちと会ったりお話したりすることができなかったんだ」
「お船はあったんでしょ。」
「そう、お船はあった。でもあんまり大きなお船じゃなかったから、本当にちょっとの人しか外の国と行き来することができなかったんだよ。ところがね、大きなお船や飛行機がつくれるようになるとね、困ったことが起きたんだ。なんだか分るかい?」
「戦争が起きたの?」
「そう、他の国の人たちが大きな船や飛行機で攻めて来るんじゃないかと心配して、みんなが戦争を始めてしまったんだ」
「沢山の人が死んだの」
「そう、大勢の人が死んだ。日本だけで何百万人、世界中では何千万人の人が死んでしまったんだ」
「パパ。怖い話はやめてよ。万博公園の話をしてよ」
「大事なところだから、もう少し聞きなさい。それでね、あんまり沢山の人が死んだからね。もう二度と戦争はしたくないと世界の人たちが考えたんだよ。
万博公園の場所に、世界中からほんとうに大勢の人たちが集まってね。それぞれの国の文化を持ちよってね、みんな友達だね、って確認しあったんだ。本当に集まったみんながお友達になったんだよ。
だからね、その気持ちをいつまでも忘れないようにね。あの場所は大切な公園になっているんだよ」
「だから、いつもお花が一杯咲いているんだ」
「そうだね。子ども達が、いつまでも楽しく過ごせるようにね、遊園地があったり、自然が一杯あったりするんだよ。世界で一番きれいなところかもしれないね。それじゃあ今日はもうお休みなさい。明日は、万博の時の写真を見せてあげよう」

北極の氷の減少とベーリング海峡ダム

北極の氷がどうして急激に融けているかについて、かっては大気の温度の上昇、風の影響などが大きいといわれていたが、最近の日本の海洋研究開発機構の研究者が、太平洋から流れ込んでいる暖かい夏の水が、北極海の氷を融かしている大きな原因であると発表した。

北極海は、単純にいえば、大西洋側の大きな開口と、太平洋側にはベーリング海峡という大変狭い開口の二つしかない大きな袋のような形をした海であり、そこにシベリア、アラスカ、カナダなどの川から淡水が流れ込み、氷の張り詰めた海を作り出している。北極海の中に、深い方から、塩分濃度が高く冷たくて重い水、大西洋からきた塩分濃度が高く暖かくて比較的重い水、そして、太平洋からきた暖かくて塩分濃度が比較的低い水、一番上に、塩分濃度が薄く冷たい河川水が、層をなして存在しており、その複雑な構造が氷の張る海を作り出している。そしてこの氷が、北極の低い気温を保っていたのだ。

この氷を太平洋からの温かい水から守るためにはベーリング海峡を閉じてやればよいという考えを西澤潤一先生が仰っている。幅100km弱、深さ50メートル、普通に考えればとても閉じられる規模のものではないが、人類の存亡をかけた工事となれば、不可能なものではない。そこで、これを閉じたシミュレーションをいまJAMSTECなどで行なっている。科学的な結論はまだもう少ししないと出てこないだろうが、私は大きな希望をもっている。この北極海氷のアルベド効果(氷が張ると、光を反射してさらに寒くなり、また氷が増えるという効果)には氷河期をもたらす位の力があるはずなので、ベーリング海峡ダムで(効果を)調節しながら海水を流すようになれば最も好都合だ。

ただし、ベーリング海峡閉鎖が有効であるとしても、その付近の環境に与える影響はプラスもあれば、マイナスもあるだろう。環境アセスメントだけでも大変な手間と時間がかかるものになるに違いない。またアメリカとロシアをつなぐのである。世界の人々の心が一つにならなければ、出来る工事ではない。またその工事の費用をどのように作り出すかが問題である。これについては、別に述べる、世界化石資源管理機構が役に立つだろう。