山口克也のブログ

「このままでは、地球はあと10年で終わる」を読んで

新しい本がでていた。「このままでは 地球はあと10年で終わる!」という本だ。
「人類は80年で滅亡する」という本を書いたのは、私の師匠たちであるから、あまりセンセーショナルなタイトルにするな、とはいえる立場ではないが、実はこのセンセーショナルなタイトルは正鵠を射ている。「10年」の本にも書いていたが、地球温暖化に対する対応が遅れると、地球は、人間が温暖化ガスを排出することを止めても、ひとりでに灼熱化するシステムが組み込まれており、人間の力では温暖化を止めることができなくなる。とめることができるのはこの10年である。大変残念だが、それが科学的な結論のようだ。

「10年」によると、その灼熱化をもたらすのは、北極の海氷の減少と、それと同時に起こる北極圏の温暖化、そしてシベリアの大地の永久凍土が融けることによるメタンの開放だということになる。「80年」では、急激な温暖化の原因は、海の中にあるメタンハイドレートの急激な気化による大気圏への噴出である、とされていた。海が先か陸が先かはともかく、温暖化ガスであるメタンの大気への噴出は温室効果をさらに加速させ、生命が生きられない大気環境を生み出すことになるというのだ。

このような、非常に厳しい人類の終末の可能性の告知は、日本の行政担当者や、会社の経営者達にはしっかりと心に刻み込んで欲しいと思う。しかしながら、次の世代を担う人たちには、私は別のメッセージを訴えたい。それは、この危機を人類は乗り越えることが出来るということだ。西澤先生、上野先生を中心とするエコシステム研究会では、ある方法を提唱している。

それは、「世界化石資源管理機構」「ベーリング海峡ダム」「MACSを用いた炭素の海中固定」「直流送電を用いた世界パワーネットワーク」を組み合わせるというものだ。個別の内容については、別のページで簡単に紹介しているが、地球の炭素循環を正常化させる方法であり、実現できれば地球温暖化は止められると信じている。早くきちんとした本を書いて、若者たちを安心させてあげたい。

「東大寺大仏・聖武天皇の挑戦」を見て

今日、NHKの歴史はそのとき動いた(帝と民の巨大プロジェクト ~東大寺大仏 聖武天皇の挑戦~)を見た。聖武天皇と行基の「願い・祈り」があの民衆を巻き込んだプロジェクトを実現し、多くの国民の心を一つにし、人々の心に癒しと救いを与えたのだということを知った。

聖武天皇の「朕の富と権力で大仏をつくることはたやすいが、それでは願いを成就できない。ただいたずらに人々を苦労させることがあってはならない」という言葉が忘れられない。
もし、聖武天皇が、自分の威光を示し、「自己実現」のためにこのプロジェクトをしたのであれば、あの大仏殿は、これほど求心力があり、人々の心を救うものにはならなかったであろう。ひとりひとりの民衆から浄財をあつめ、民の心を集めて大仏を作っていったその願いの尊さに頭が下がった。

マズローの欲求階層説によると、人間の行動を引き起こす欲求は五つの階層よりなり、

下から生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、自尊欲求、自己実現欲求の順に積み重なり、下の欲求が満たされると次の欲求により動くようになるという。

この理論は、基本的な欲求がかなえられないと、次の欲求について考えられないという人間の性質をするどく射抜いてはいるが、自己実現欲求を最終的な欲求にすえることで、あたかも、自己実現欲求が、最高位の欲求であるという誤解を与え続けてきたのではないだろうか。実は、私自身もこのような誤解に取り付かれていたことを白状しなくてはならない。

自己実現にとりつかれた社会は、個人の資産の果てしない巨大化、貴重な資源の独占など環境の悪化と人々の苦しみをもたらす、未来のない道につながっている。

現在のあまりにも個人の利益の主張にこりかたまった社会の形を変えるためには、人間の心には、自己実現を超えた、親の心、さらにはそれを越えた多くの人々の幸せを目指す、調和を求める心があることを社会全体が思い出すことが大切なのではないだろうか。

現代の行基よ、たちいでよというメッセージが聞こえてこないだろうか。

炭素の海中固定について

先日北海道留萌にある水熱化学という私が東北大学で学んだ技術を使った、廃棄物の処理施設を見学に行った。そこで私が発見したものは、実にこのMACSという技術は、私達が夢見ていた二酸化炭素除去装置ではないかということだった。

念のために言うと、宇宙戦艦ヤマトで地球を救ったあの放射能除去装置に匹敵する大きなインパクトをもつ装置ではないか、ということを言いたいのだ。

装置は、そんなに複雑なものではない。しかし実に効率的に、時間もエネルギーも多くを使わないで、プラスティック製品を含めた有機物をアミノ酸やオリゴ糖を主成分 とするこげ茶色の粉末に変えてゆく。その装置の一回の廃棄物の処理量は4トン程度だが、一回の反応時間が1時間から一時間半だから24時間稼動すると数十トンの廃棄物が処理できる。この装置はまだこんな小型のものがたった一機つくられているだけなのだ。実に嘆かわしいことだ。

大事なのは、焼却炉や、消滅型のゴミ処理装置と違い、この装置は有機物を二酸化炭素ではなく短時間で有用な飼料や肥料に変えることが出来るということだ。

飼料や肥料としての用途の開発は十分に出来ていないようだったが、たとえその用途での性質が芳しいものでなくても、この装置で処理された下水汚泥などはおそらく海の肥料として海洋に投棄することができるはずだ。

人間が化石燃料を掘り出すことによって大気圏に放出してしまった炭素を固定化するのは、今のところ光合成のできる植物しかない。しかし、植物がいったん炭素を固定してもその植物が燃やされたり、腐ったりしてしまうとまた炭素が空気中に放出されてしまう。

我々が大気中の炭素を固定化しようと思うと、この植物の遺体、あるいはそれを人間が食べた後のカスである下水汚泥を海洋を汚染しないかたちに変えて深海底に投棄するしかない。この装置はまさに、その二酸化炭素の海洋固定のための役割の一翼をになうものだ。

残念なのは、ほとんどの人が、この装置を廃棄物処理施設としてみていて、二酸化炭素固定化装置と見ていないことだ。全国の汚泥や廃棄物をこの方法で処理すると、おそらく炭素を日本だけででも年間数千万トンは固定化することができるだろう。炭素の排出に負の価値がある時に、あるいは日本が京都議定書を高い二酸化多酸素の排出権を海外から買って遵守しようというときに、この装置の価値に気づかないのは本当に“もったいない”ことだ。