G20 諸宗教フォーラム

私がこの場にパネリストとして参加できたのは、これまでに国際会議に招待されていたことと、いくつかの宗教の場あるいはロータリークラブなどで講演を行ってきたこと、あるいはその内容によるものだと思います。私が最初に世界を地球温暖化から救う方法として、基本的には4つの手段を指摘してから、十数年経ち、その一部は再生可能エネルギーを運ぶ世界的なネットワークという形で実現しつつあるものの、他の三点については、それらを超える手法が現在まで提案されていないところから、私は自らの提案を確信をもって発言し続けなくてはならないと思っていました。そこで、今回の諸宗教フォーラムにおいても、これまでの主張をより簡潔にして、参加者のみなさまにお伝えしました。サマリーはこのHPにアップしてありますので、ご覧ください。

そしてその会議の場で、私が最初に申し上げたのは、私にこの場で発言する機会を与えて下さったことに感謝しますということ、そして次の重要な言葉です。「今から申し上げる手段によって、地球温暖化がコントロールできることについては、私は確信をもっています。しかしながら、私の心配は、人類が全体として、地球温暖化と闘うための手法を理解し、心を一つにしてそれを実現していけるか、という点です。その意味で、私は今日ここにお集まりになった、世界の宗教指導者の皆様のお力をお借りしたいと思い、今日の発表を行います」私はこのように申し上げたのです。

そして、私のプレゼンを終えた後、多くの質問をいただき、そしてセッションを終えた後には、参加者、とくに海外の参加者から、素晴らしいプレゼンだった。詳しい内容を知りたいので、あなたのHPを見ますなど、非常に好意的な反応をいただいたのです。

そして、私が重要な経験をしたのは、この後でした。今回のフォーラムの内容については、とりまとめて、提言書をG20を主催する安倍首相に手渡す、ということは聞いていましたが、百数十人いる、多くの宗教指導者の参加者の意見のとりまとめに、私が参加したり、意見をだすことが出来るとは思っていませんでした。そこで、最終的に、フォーラムの提言書を採択するセッションに、私は事前準備なく、いわば手ぶらで参加したのです。

そのセッションにおいては、まず、最終セッションのタイムスケジュールが説明されました。時間については正確に記憶していないのですが、だいたいこんな感じで説明されました。これから20分ほど事務局が作成した提言書案について、前半は日本語、後半は英語で説明し(もちろん同時通訳付きですが)、10分ほど、この会場で質疑を行う。それから30分ほどで、事務局が正式な提言書を作成したあと、会場の皆様とともに、フォーラム会場のホテルから清水寺に移動し、そこで多くの関係者を集めたイベントと、マスメディアへの提言書の発表を行う予定になっている、というものでした。すなわち、提言書の発表まで、もうほとんど時間が残されていない状態だったのです。

そのような状態で、事務局が読み上げ始めた提言書案には、私の発表内容が全く反映されていなかったのです。多くのセッションの内容を手短にまとめた提言書でしたから、他の多くの発表者も自分の提言が入っていないという不満を持たれるものだったと思います。そのような状況は理解していたのですが、私は自分の提案が、世界の未来に大きな影響を与えるものだと知っていて、なおかつ私をこの場所に押し出してくれた人が誰かいるということを強く感じていましたから、この150人以上の世界中の宗教指導者の集まった場で、手を上げ、何とかしてこの提言書を修正し、自分の提案の一部でもいれようと、努力を始めました。まず、原案に気候変動対策として書き込まれている内容を、言葉や表現を変え、三分の二程度の長さに縮めることに成功しました。そしてその空いた一行という隙間に、自分のアイデアの中の一つ、化石資源の世界的な専売制を、世界一律の炭素プライシングを実現するものとして押し込もうとしたのです。

しばらく押し問答をしながら、とりあえず、ということで私の言葉が提言書の中に入りかけた時に、一人の日本人が手をあげて、「私は宗教者だが、環境省のさまざまな会議にアドバイザーとして参加している。しかしながら、化石資源の専売制については環境省としてまだ議論をしたことがない。そのような内容が提言書の中に入ってくると、環境省としてはとても困るのではないか。世界一律のカーボンプライシングということなら議論をしたことがあるので、そこまでなら入れていいと思う。(ここからが驚いたのですが)それ以上具体的な提案を入れると、他のさまざまな学者の研究を否定することになるので良くない。」

それに対して私は、「世界一律のカーボンプライシングは必須であるが、化石資源の専売制には、炭素価格をつける他の方法と比べて多くの重要なメリットがある。是非私の講演を聞いて下さった会場の皆さんの声を聞いてほしい」と言いました。しかしながら、次の会場からの発言は同じく日本人で、「多くの提案がなされている中で、一つの提案だけについてこれ以上時間を使うのはどうかと思う」というもので、かなり時間を使っていることに苛立っている雰囲気を漂わせていました。私は、この諸宗教フォーラムの中で、どこまで自分が我を通していいか分からないこともあり、司会者が私の考えを取り上げることよりも、早く提案書を完成させることに向いていたので、私はそこで、主張をすることをやめたのです。

しかしながら、ここからが、私がここで本当に書きたかったことなのですが、私が主張を止めた瞬間に、会場から大きなブーイングが沸き上がりました。議論が日本語でおこなわれていたので、(同時通訳はあったのですが)議論に入ってこられていなかった外国人参加者は、私の主張を排除した運営側と、主張をそこでやめた私に対して大きなブーイングをしたのです。私に対してもっとやれと、言ってくれていたのです。司会が先に進んでしまったので、私はそれから後を続けることはできなかったのですが、自分の心の中には、会場の人たちが認めていてくれていることを知っていたなら、もっともっと主張を続けるべきだったという後悔が生まれました。もし、私が経験を積んでいる外国人の研究者であったなら、清水寺に向かおうとしているバスも、マスメディアの人たちも待たせて、議論を続けていたことでしょう。私には、「他の研究者の意見をすべて否定することになる」という言葉を打ち返せる「ここで絶対に決めなければ」という決意が足らなかったのだと今になって思います。

結果的に、G20サミットの首脳宣言には、世界一律のカーボンプライシングという言葉も残りませんでしたから、諸宗教者会議からの提案書に化石資源専売制をいれることが出来たとしても、その後の議論にどのような影響を与えられたかは分かりません。しかしながら私としては自分の出来ることを力の限りやりつくしたという感覚を得ることができず、もやもや感は残りました。そのセッションの後、休憩中に、ある日本人の参加者から「山口君、やはり化石資源の専売制という言葉は入れるべきだったね。わたしもあの時に何か言ってあげればよかったのだが」と声をかけられたのが心に残りました。また、日本人の僧侶の方が「国際的な会議では、日本ではうるさいと思われるぐらいに発言する人でなければ役に立たないんですね」などと話されていたのも印象的でした。

その後、さまざまなイベントを経た後の閉会式で、諸宗教会議の前事務局長がされたご挨拶が大変印象に残りました。「いま、ここに集まられた方で、現在の世界が崩壊に瀕していると感じていらっしゃらない方はいないでしょう。そして、もしあなた方が、この世界の崩壊に際し、何もしなかったとしても、それを非難出来る人は誰もいないでしょう。しかしながら、今日ここに立って、美しい世界を眺め、多くの人々の笑顔を見ておられる皆様は、この世界がこのまま続いてほしいと心から願っていらっしゃると思います。そのためであれば、我々は世界を救おうとする人間の様々な努力や、神の救いの手に対し、それに光を当てて調べるのではなく、その霧の向こうの手をしっかりと握りしめるような態度が必要になると思います。皆さんの、世界を守るために働きたいと強い思いを、これからの日常生活の中でも強く持ち続けていただきたいと思います。今回の会合はこれで終わりました。しかしながら、我々の世界を守るための仕事はこれからも続いていきます。次回はサウジアラビアでまたお会いしましょう」

本当に素晴らしい方々に沢山会えた、そして私のアイデアが世界で受け入れられるものであることを確信できた諸宗教者サミットでした。