◆ 「東大寺大仏・聖武天皇の挑戦」を見て(2006年5月24日)

今日、NHKの歴史はそのとき動いた(帝と民の巨大プロジェクト ~東大寺大仏 聖武天皇の挑戦~)を見た。聖武天皇と行基の「願い・祈り」があの民衆を巻き込んだプロジェクトを実現し、多くの国民の心を一つにし、人々の心に癒しと救いを与えたのだということを知った。

聖武天皇の「朕の富と権力で大仏をつくることはたやすいが、それでは願いを成就できない。ただいたずらに人々を苦労させることがあってはならない」という言葉が忘れられない。
もし、聖武天皇が、自分の威光を示し、「自己実現」のためにこのプロジェクトをしたのであれば、あの大仏殿は、これほど求心力があり、人々の心を救うものにはならなかったであろう。ひとりひとりの民衆から浄財をあつめ、民の心を集めて大仏を作っていったその願いの尊さに頭が下がった。

マズローの欲求階層説によると、人間の行動を引き起こす欲求は五つの階層よりなり、

下から生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、自尊欲求、自己実現欲求の順に積み重なり、下の欲求が満たされると次の欲求により動くようになるという。

この理論は、基本的な欲求がかなえられないと、次の欲求について考えられないという人間の性質をするどく射抜いてはいるが、自己実現欲求を最終的な欲求にすえることで、あたかも、自己実現欲求が、最高位の欲求であるという誤解を与え続けてきたのではないだろうか。実は、私自身もこのような誤解に取り付かれていたことを白状しなくてはならない。

自己実現にとりつかれた社会は、個人の資産の果てしない巨大化、貴重な資源の独占など環境の悪化と人々の苦しみをもたらす、未来のない道につながっている。

現在のあまりにも個人の利益の主張にこりかたまった社会の形を変えるためには、人間の心には、自己実現を超えた、親の心、さらにはそれを越えた多くの人々の幸せを目指す、調和を求める心があることを社会全体が思い出すことが大切なのではないだろうか。

現代の行基よ、たちいでよというメッセージが聞こえてこないだろうか。

 

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