◆ 佐川町で考えたこと(2007年12月1日)

昨日まで高知県佐川町で行なわれていた「水の国際会議」に参加してきた。地方でこのような会議や学会が開かれるのは珍しく佐川町としては冒険的な試みだったらしいが、佐川町の人たちの暖かい歓迎や、職員のみなさんの熱意に支えられ、また中心となって動かれた私の恩師の山崎先生の幅広い人脈のおかげもあり、佐川町に大きな財産を残す国際会議になったことと思う。第二回の国際会議が中国の上海で行なわれることも決まり、会議は成功だったのではないかと考える。

水熱科学という技術の幅広さを改めて感じただけでなく、地球の生命圏が、特に地下で水熱反応に支えられているかもしれないという発表など、工学だけでなく、地質学、生物学など幅広い学問分野にわたる知見を得ることができ、東北大学時代の同僚とも再会でき大変楽しい時間を過ごせた。

退任される高知県の橋本大二郎知事が、会議の冒頭で、未来の人たちのために環境を守り水の技術を発展させることの大切さを述べるなかで、「私の兄の橋本龍太郎は、倒れる直前まで地球の砂漠化の心配をしていた」などのお話をしてくださったのが印象に強く残っている。

この学会のなかで、佐川町の町長と経済関係者などを交えたシンポジウムが開かれ、佐川町にたいし、水熱技術がどのように貢献できるのかという討論が、行なわれた。私はそのとき、フロアーから、「町としてはどのような未来の姿を求めているのか、佐川町はいったい何がしたいのか」という質問をした。町長からはそのときすぐには、はっきりとした答えは返ってこなかったが、 僕は、あとからその質問をしたことが適切だったかを含めて、自分からなぜその言葉がでたのかを考えていた。そして、その質問は本当に大事なポイントを含んでいると感じた。

それは町という組織は、もちろんそこに住む人たちの生活や、産業を守るという仕事、責任がある。しかしながら、そこにただ人が住んでいるというだけでは、県や国がそこにお金を投じ、その町を特に大切にする意味はない。佐川町は過疎の村ではないが、ひどい過疎の集落などについては、その集落を存続させることの社会的意味が問われる時代だからだ。その町をあずかる行政は、この町が、他の地域にどのように貢献できるかを常に問い続けなくてはならないし、そこで、本当に町としてしなくてはいけない仕事がみつけられたら、そこから町の発展が始まるだろうと考えたのだ。

その時一つの例として私は、「大阪にはきれいな海がない。汚い海岸で、混雑した海で若者が遊んでいるのを思い起こすと、比較的近いこの高知の美しい海や川に彼らを呼ぶことがどうしてできないのかと思う。高知や、佐川町は都会の人たちがこの自然と親しむことが出来るように、この自然をさまざまに映像化し、広報しなくてはならないし、町がホテルになってオプショナルツアーを考えるような気持ちで、旅行者が自然と触れ合えるよう、自然をある程度整備することが義務だと思うし、町の発展にもつながるだろう」と述べた。それ以外にも、佐川町がしたらよいと思える施策を思いつくまま担当者に話した。
市町村の施策についてさまざまに考えるのは、僕にとって久しぶりで、知的にも、とても楽しい時間であった。

 

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