◆ インカ・マヤ・アステカ展で考えたこと(2007年11月5日)

先日神戸市立博物館で行なわれていた、インカ・マヤ・アステカ展を見てきた。マヤ文明の石の彫刻、アステカ・先アステカ文明の建築・その多くがスペインの略奪により失われたが、少しだけ略奪をのがれて残されたインカ帝国の金細工や石の建造物などは、日本の同時代の造形と比較しても非常に高い技術力を感じるものだ。

しかしながら、いけにえや、自己犠牲などがかもし出す、いかにも閉塞した空気がすこし私の気分を悪くした。

しかし、その後少し考えた。この文明展は、この文明のもっとも高度に発展していた、農業や、天文学の展示を十分に行なっていないと。あるいは、その文明を今に伝えて生きる人たちの生きた顔を表現していないと。

すなわち、土の中から掘り出された土器などの遺物を並べて、その時代や文明を表現することは、ここまで発達してきた考古学という分野の展開を考えた時、不十分なものとなっていないだろうか?あるいは、これらの文明から、現代社会がひきついでいる様々な栽培植物(トウモロコシ・ジャガイモ・カボチャ・インゲン豆・唐辛子・ピーナッツ・カカオ豆・パイナップルなど、現在の栽培植物の五分の三はアメリカ大陸原産でインディオによって高度に栽培植物化されたといわれている)を見たとき、これらの植物を生み出した農耕技術そのものが、この文明の中心だったはずで、簡単に略奪し、移動し売買できる工芸品は、この文明の最も重要なメッセージを含んだ遺品といえるだろうか?という疑問が浮かんだのである。

マヤの支配者が、死の恐怖をもって統治を行なっていたことは事実だろう。そして、この文明に生きた人たちは「人の血を求める神」のもとで精神の平穏を得ることは、おそらできなかったであろう。これをかんがえると、飛鳥時代以降の日本が和歌などのなかで、自然や恋をいつくしむ文化を育て国家の求心力にしたことや、一神教を崇拝する国々が、神の慈愛を統治の基本に据えたことは、統治の方法としてより高いレベルのものであり、統治される側も幸せであったといえよう。

世界がマヤの時代のように死の恐怖をもって統治される時代に戻らないことを祈るのみである。

 

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